5月 9
何と理不尽な!日本政府、寺越さんらを拉致認定せず!
icon1 ooya | icon2 寺越事件について | icon4 05 9th, 2011| icon3コメントは受け付けていません。

8日、東京で拉致救出集会が行われたが

その中で救う会会長・西岡力氏は

本HPでも取り上げている寺越昭二さん、外雄さんらについて

政府は北朝鮮による拉致被害者として認定しないことを

ご家族に伝えたことを明らかにした。

何と理不尽なことか!

本HPでも詳しく取り上げているが

余程ひねくれた非常識な日本人(否、人間)でない限り

誰がどう考えても

寺越さんらは北による拉致以外の何ものでもないではないか!!

本当にお気の毒で弱い立場にある何ら罪なき国民に対し

これ程まで冷淡で無慈悲な態度をとり続ける政府とは一体何なのか!!!

こんな政府に大震災からの復旧・復興をなし遂げられる道理が

果たしてあるだろうか?????

12月 7
寺越文雄さんの申述書
icon1 ooya | icon2 寺越事件について, 拉致問題の真相ードキュメント | icon4 12 7th, 2010| icon3コメントは受け付けていません。

平成22年2月24日
拉致問題担当大臣 中井 洽 殿

寺越外雄の兄 寺越文雄
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 飯塚繁雄
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 藤野義昭
救う会兵庫代表 長瀬 猛

要 請 書

拉致問題の解決のためにご尽力を頂き、誠にありがとうございます。
ご承知の通り、寺越外雄は、兄・昭二、甥・武志とともに昭和38(1963)年5月11
日、北朝鮮に拉致され、平成6(1994)年9月5日に彼の地で客死しました。しかし、
現在も妻(韓福生)とその2人の子ども(長男・明哲、長女・明心)は厳しい環境の中、
彼の地で必死に生きています。
昭和62年(1987)1月22日、外雄から生存を知らせる手紙を手にして以来、寺越文
雄をはじめとする兄弟、親戚は、みんな必ず帰ってくると信じ、金品を送ったり手紙で
励ましたりしながら、今日までやってまいりましたが、寄る年波には逆らえず、希望の
光も遠のいて行くような気がいたします。
そこで、このたび寺越文雄が手元で保管していた手紙や写真などを元に、外雄の家族に関する基本的な事柄を整理して、彼らが本来もっている日本国籍を確認して頂き、その保護と人権の回復をお願いしようと思い、本状を持って参った次第です。
何卒、政府一丸となって下記の事項に付き果敢に行動して頂きたく、お願い申し上げます。

要請事項
1 政府は、寺越事件を北朝鮮による拉致事件と認定すること。また、寺越外雄の家 族を拉致被害者家族として位置づけること。
2 法務省は、寺越文雄らが進めようとしている寺越外雄の戸籍上の死亡日の変更、長男長女の戸籍作成作業を支援すること。
3 外務省は、北朝鮮との交渉において寺越外雄の妻と子ども、そしてその配偶者及び直系子孫について、安全を確保し日本への帰国を求めること。

●資料

寺越外雄さん家族関係資料
(平成22年2月24日・救う会まとめ)

1 人的関係
寺越外雄
昭和14年(1939)2月7日生まれ
寺越嘉太郎、こきん夫婦の4男
昭和38年(1963)5月11日 次兄・昭二、長兄の息子・武志とともに石川県近海で北朝鮮により拉致される
昭和62年(1987)1月22日 日本の家族にはじめて手紙が届く
昭和62年8月30日 長兄で武志の親である寺越太左ヱ門・友枝夫妻が初訪朝、社会党代議士嶋崎譲が同行、外雄とその妻、2人の子どもとも面会
平成6年(1994)9月5日 外雄、肺がんのため死亡。享年55歳

外雄の妻
韓福生
大阪出身の在日朝鮮人
昭和35年(1960) 母(韓福順)、妹と北朝鮮へ帰国(父、姉は日本残留)
昭和45年(1970)※ 外雄と北朝鮮で結婚 (結婚年は嶋崎譲『再会』による)

外雄の長男
金(寺越)明哲
昭和46年(1971)生まれ 誕生月日は不明
平成8年(1996)万豊大学獣医畜産学部卒業
専門学校の講師となる、4年で退任
平成12年(2000)8月8日 結婚、娘が一人
亀城牧場の畜産技師(現職)

外雄の長女
金(寺越)明心
昭和49年(1974)生まれ 誕生月日は不明
平成21年7月の「手紙」によると、美容師を目指しているという

2.寺越文雄証言
昭和11年2月12日生まれ
寺越嘉太郎、こきん夫婦の3男
(なお拉致被害者、寺越昭二は次男、外雄は4男、武志は長男太左ヱ門の長男)
平成9年6月27日の寺越武志「死亡取り消し決定」を受けて、海上保安庁から私(寺越文雄)に「外雄さんはどうしますか」と尋ねられました。
私(文雄)は、「もう死んでしまった人間の、死亡日を変えても仕方ない」と思い、
この申し出を辞退してしまいました。その結果甥の明哲、姪の明心が生まれながらに
持っているはずの日本国籍が確認できなくなってしまいました。
このような経緯により、本要請に至った次第です。

甥の明哲、姪の明心の生年は分かりましたが、誕生月日は、残念ながら私の手元の
手紙などからは分かりません。しかし、20年以上にわたる手紙のやり取りと多くの写
真から、2人が外雄の子供であると確信しています。

昭和62年1月、外雄から初めての手紙が届き、同年8月、太左ヱ門・友枝夫妻が初訪朝、社会党代議士嶋崎譲が同行しました。この第一回目の訪朝には、私(文雄)も参加する予定でしたが、長兄の太左ヱ門に譲ったのです。当時は、3人ともすぐに帰って来られると思っていました。
平成2年8月、太左ヱ門・友枝夫妻が二回目の訪朝、社会党代議士嶋崎譲がその際も同行しました。この訪朝で、病死したとされる昭二の「遺骨」と称するものが引き渡
されました。しかし、中身は土だったのです。
三回目の訪朝からは、友枝単独になります。これ以降、友枝の訪朝は繰り返され、
親族は彼女に金品を託しました。
しかし、外雄の家族からの希望で、別に分けて送るようになりました。
平成6年9月5日 外雄が肺がんのため死亡したと伝えられました。享年55歳です。その後も外雄の家族との手紙のやりとりと金品支援は続けました。
平成7年1月17日に阪神大震災が発生、被災しました。昭和62年から始まった物的支援は、震災をもって一旦終了しました。理由は、全壊した店舗と住宅の再建で余裕がなくなったのと、二人の子供も大きくなっており、いつまでも支援に頼っていてはい
けないと考えたからです。
平成12年8月8日、外雄の長男・明哲が結婚しました。結婚祝いなどを、新婦の関係
者に託しました。
平成14年9月17日 小泉首相の訪朝、日朝平壌宣言の調印。金正日が拉致を認めたことを受け、寺越家として声を上げることになります。
平成22年2月23日 福生さんから最後の手紙が届きました。

3.明哲、明心の出生年を証明する手紙
明哲 1971年生まれ
明心 1974年生まれ

(1)外雄、福生から文雄へ 1988年1月2日付け
「僕の長男明哲は今年17歳で9月に中学校を卒業します。僕の考えでは大学に進学(医大、又は機械大学)させようと思います」

(2)外雄から文雄へ 1989年1月11日付け
「新しい年を迎え僕は50才、妻は43才、明哲は18才、明心は15才に成りました」
※外雄は1939年2月7日生まれ

(3)明哲(長男)から文雄へ 1994年12月8日付け
「今年わが家では不祥事ができた。ちちかわたしたちの至誠と企待に逆に身病と因な
苦痛中9月5日死亡した。只今全家族は断腸の思いています。(原文まま)(略)
万豊大学獣医畜産学部獣医畜産学科5学年 金明哲より」
※北朝鮮では大学5年生は満21-22歳

(4)福生から文雄へ 2001年10月9日付け
「明哲もみなさんの援助のかげで無事に結婚にゴールイン致しました。今年は明心の
番になりました。相手は中学校の先生で私の友達の息子さんです。(30才)明心も27才でヨメに行く年はもうすぎたんですが、明哲のためおそくなりました。」

寺越外雄の家族の出生年(救う会計算)
寺越外雄 妻・韓福生 長男・明哲 長女・明心
1939年2月7日生
1988年1月2日手紙(1)に記載 17歳
1989年1月11日手紙(2)に記載 50歳 43歳 18歳 15歳
1994年12月8日手紙(3)に記載 大学5年生
2001年10月9日手紙(4)に記載 27歳
※以上の事実から
家族出生年 1946年生 1971年生 1974年生
2010年2月24日現在年齢 64歳 39歳 36歳

以上

6月 24
寺越事件を注視せよ 新聞記事⑤→神戸新聞6月19日より-2
icon1 ooya | icon2 寺越事件について | icon4 06 24th, 2010| icon3コメントは受け付けていません。

今回、第9管区海上保安本部(新潟)が

死亡認定を取り消し、戸籍が回復。文雄さんは週明けにも、

あらためて94年の死亡届を提出する。

文雄さんは拉致認定と併せて、

外雄さんの長男(38)、長女(34)らが邦人保護の対象となるよう

日本国籍の取得を希望。外雄さんの婚姻届や、

2児と孫の出生届の受理も国に求める。

北朝鮮は、外雄さんらを海難救助した、と主張している。

病床にある文雄さんに依頼され、手続きをしている

「救う会兵庫」の長瀬猛代表は「状況から拉致としか考えられない。

政府は拉致と認定すべきだ」と訴えている。(宮沢之祐)

6月 23
寺越事件を注視せよ 新聞記事⑤→神戸新聞6月19日より
icon1 ooya | icon2 寺越事件について | icon4 06 23rd, 2010| icon3コメントは受け付けていません。

寺越さん戸籍暫定回復

故郷の石川

兄が拉致認定要望

1963年に能登半島沖で失踪し、死亡と認定された

寺越外雄さん=94年に北朝鮮で死亡、当時(55)=の戸籍が18日までに、

故郷の石川県志賀(しか)町役場で暫定的に回復した。

外雄さんは北朝鮮に拉致された疑いがあり、

真相究明を願う兄文雄さん(74)=神戸市東灘区=が、

63年当時の死亡認定取り消しを求めていた。

63年、外雄さんら3人は出漁中に消息を絶ち、

海上保安庁が死亡認定をした。しかし、87年になって

北朝鮮から手紙が届き、外雄さんが結婚し、

1男1女がいることが判明。北朝鮮に渡った経緯を

説明しないまま94年9月に平壌で病没した。(宮沢之祐)

以下続く

5月 25
外雄さんは87年に北朝鮮にいるとわかったが、帰国せずに94年に55歳で病没。
現在、在日朝鮮人だった妻や長男(38)、長女(34)、孫娘(5)らが北朝鮮で暮らしている。
救う会は、法務省を窓口に、
婚姻届→子どもや孫の出生届→外雄さんの死亡届ーの手続きを同時に進める方針。
妻の意思確認など困難が予想されるが、婚姻や出生の客観的な根拠として、
外雄さんや妻からの100通を超える手紙や、家族の写真を提出するという。
文雄さんは、志賀町役場から戸籍を取り寄せる。
文雄さんは入院中で、会見した長瀬猛代表(41)は「邦人保護の対象から
家族がこぼれることがないよう望んでいる文雄さんを、安心させてあげたい」と訴えた。
・・・以下略・・・(石沢菜々子)

外雄さんは87年に北朝鮮にいるとわかったが、帰国せずに94年に55歳で病没。

現在、在日朝鮮人だった妻や長男(38)、長女(34)、孫娘(5)らが北朝鮮で暮らしている。

救う会は、法務省を窓口に、

婚姻届→子どもや孫の出生届→外雄さんの死亡届ーの手続きを同時に進める方針。

妻の意思確認など困難が予想されるが、婚姻や出生の客観的な根拠として、

外雄さんや妻からの100通を超える手紙や、家族の写真を提出するという。

文雄さんは、志賀町役場から戸籍を取り寄せる。

文雄さんは入院中で、会見した長瀬猛代表(41)は「邦人保護の対象から

家族がこぼれることがないよう望んでいる文雄さんを、安心させてあげたい」と訴えた。

・・・以下略・・・(石沢菜々子)

5月 24

寺越さん妻子らの国籍取得向け

週明けにも手続きへ

救う会兵庫

1963年に能登半島沖で行方不明になり、北朝鮮に拉致された疑いがある

寺越外雄さん=石川県志賀町出身=について、第9管区海上保安部(新潟)が

失踪当時の死亡認定を取り消したのを受け、兄文雄さん(74)=神戸市東灘区=を

支援する「救う会兵庫」は14日、暫定的に回復する外雄さんの戸籍をもとに、

北朝鮮にいる妻や子らの日本国籍取得を目指し、

週明けにも手続きに入ることを明らかにした。

5月 23

北朝鮮の元工作員の証言などから、外雄さんらは拉致された疑いがあるものの

公式には遭難死の扱いになっていた。そのため文雄さんが4月、

同保安本部長あてに死亡認定取消願を提出していた。

同保安本部は、外雄さんの両親の戸籍がある金沢市に

死亡報告取消通知書を送ったとみられ、近く戸籍が回復される見通し。

今後、文雄さんは法務省に婚姻届や2児の出生届を提出し、

30代になった2児の日本国籍を取得する方針。邦人保護の対象とし、

大阪出身の外雄さんの妻や2児の「帰国」も視野に入れ、身の安全を図るという。

死亡届もあらためて出す。

文雄さんは体調を崩して入院中で、支援している「救う会兵庫」の長瀬猛代表は

「政府が迅速に対応してくれることを願っている」と話している。(宮沢之佑

5月 22

能登沖で不明

寺越さん戸籍回復へ

新潟の海保が「死亡」取り消し

神戸の兄に連絡

第9管区海上保安部(新潟)は、1963年に能登半島沖で行方不明となり、

死亡したとされた寺越外雄さん=石川県志賀町出身=について、

兄の文雄さん(74)=神戸市東灘区=が求めていた

能登半島沖での死亡認定の取り消しを13日までに決定した。

同保安本部から文雄さんに連絡があったという。

外雄さんは87年に北朝鮮で暮らしていると判明し、94年に病没した。

外雄さんは63年、別の兄昭二さん、おい武志さんとともに出漁中に消息を絶ち、

当時、同保安本部が3人の死亡を認定した。

しかし、87年に北朝鮮から手紙が届き、生存が判明。

在日朝鮮人だった女性と結婚し、長男と長女がいることも分かった。

5月 1

死亡認定取消願は、体調を崩した文雄さんの代理で、

救う会兵庫の長瀬猛代表(41)が神戸海上保安部に提出。

取り消しが認められれば、外雄さんの婚姻届と2児の出生届を出すことにしている。

現在、30代になっている2児の日本国籍を得ることで、保護の対象とし、

妻を含む家族の日本への「帰国」も容易にすることが目的。

文雄さんは今年2月、外雄さんを拉致被害者と認定するよう中井●拉致担当相らに

要請しており「死んだ弟にしてやれることは、もうこれぐらい。

おいやめいの日本国籍を認めてもらうことで身の安全を図りたい」と話す。

長瀬代表は「死亡認定が取り消されれば事実上、拉致の認定になる。

政府はしっかり対応してほしい」と求めている。

外雄さんと同じく北朝鮮での生存が分かった武志さんは97年に戸籍を回復した。

北朝鮮側は「海難事故に遭って漂流中の3人をわが国の船が救出した」

と説明している。(宮沢之祐)

4月 30

94年まで北朝鮮で生存

寺越さん死亡見直しを

不明時の認定で神戸の兄取消願

遺児らの安全願い

1963年に能登半島沖で行方不明となり、死亡したとされたものの、

87年に北朝鮮で暮らしていると分かり、94年に死亡したという

寺越外雄さん=石川県志賀町出身=について、

兄の文雄さん(74)=神戸市東灘区=が23日、第9管区海上保安部本部長にあてて、

能登半島沖での「死亡認定取消願」を提出した。

外雄さんは63年、別の兄昭二さん、おい武志さんと漁に出て消息を絶ち、

当時、3人とも海上保安庁が死亡を認定した。

しかし、24年ぶりに北朝鮮から手紙が届き、生存が判明。

在日朝鮮人だった女性と結婚して長男と長女がおり、

生活の窮状を訴える手紙が文雄さんに届くようになった。

文雄さんは仕送りを重ね、外雄さんの死後も遺族と文通が続いている。

以下続く。。。。

4月 29

《私たちの生活はあなたらにはとても想像もできないぐらいの

”苦難の行軍”をしております》

2月に届いた手紙には、便箋2枚の裏表にこう記されていた。

苦難の行軍とは北朝鮮で300万人が餓死したともされる

1990年代の飢饉を指す言葉だ。

外雄さんの一家は苦しい生活を送っているようで、

手紙では長男に子供が生まれたことが報告され、

《まだまだ書きたいことがありますが、手が震えて書くことができません》

《命続く限り手紙します》と締めくくられていた。

「寺越事件」の拉致認定などを求めて政府への働きかけを始めた

救う会の西岡力会長代行は「政府が拉致被害者に認定していれば、

曽我ひとみさん夫婦らほかの拉致被害者の子供たちと同じく、

拉致被害者支援法に基づき保護と支援の対象になる」と指摘する。

外雄さんの親族で家族会メンバーの内田美津夫さん(56)は

「一刻も早く救い出せるようにしてほしい」と訴えている。

以下続く。。。。

4月 28

”拉致被害者”の妻から手紙

「北」の窮状訴える100通

家族会など 子供らの国籍認定求める

《心の中に秘めていた事実を書こうと思います・・・》。

北朝鮮から、切々と窮状をつづった手紙が、また日本に届いた。

差出人は、”拉致被害者”の日本人男性の妻。

男性は47年前に日本海で出漁中に行方不明となり、その後、

北朝鮮での生存が確認されたが、平成6年に病死したとされる。

拉致被害者の「家族会」と「救う会」は、

男性の拉致被害者認定と、

北で生まれた男性の子供らの国籍認定を求めて動き始めた。

男性は石川県出身の寺越外雄(てらこしそとお)さん。

外雄さんは昭和38年、兄の昭二さん=当時(36)=と

甥の武志さん(60)と漁船で漁に出かけ失踪した。

その後、武志さんが北朝鮮で「拉致ではない。救出されただけ」

と語ったため、拉致事件としては扱いにくくなった。

さらに、武志さんは平成14年、北の労働団体幹部として一時帰国し、

「将軍様の配慮で何不自由なく暮らしている」と

拉致を否定する発言を繰り返した。

昭二さんについては、脱北した元工作員の証言から

拉致される過程で殺害された疑いが浮上。

ここでも昭二さんの死亡の真相究明に重点が置かれ、

外雄さんの存在がクローズアップされることはなかった。

だが、その陰で外雄さんは日本の家族に手紙を送り続けた。

元在日朝鮮人の妻と結婚。30代になる長男と長女がいる。

外雄さんの死後も妻らが引き継ぎ、

一家から届いた手紙は100通を超えるという。

以下続く。。。。。

4月 14
 寺越事件を注視せよ!「寺越事件」記者会見動画
icon1 ooya | icon2 寺越事件について | icon4 04 14th, 2010| icon3コメントは受け付けていません。
◎「寺越事件」をめぐる最近の動きと課題について、

簡潔にまとめられた重要な新聞記事がありますので

読者の皆さんの理解を深めていただくため、

以下に転載させていただきます。

本件が、今後どのように推移するかは、

今の「日本国」が、果たして、

本気で国民を守る意思があるか否か

すなわち

真っ当な独立主権国であるか否かを図り得る

極めて重要なリトマス紙になるものと思います。

是非ご一読の上、ブルーリボン運動の推進に

一層のご支援をお願い申し上げます!

先日記者会見が行われましたのでここに公開します

何分マスコミ各社はほとんど取り上げることはないので

ぜひご覧ください。

寺越事件・記者会見その1

寺越事件・記者会見その2
4月 13
 序章 「寺越事件を注視せよ」
icon1 ooya | icon2 寺越事件について | icon4 04 13th, 2010| icon3コメントは受け付けていません。

”拉致被害者(既に病死)”

とその家族から

20年以上にわたり100通を超える手紙が、、、

つい先日も北朝鮮から届いた!

寺越事件は昭和38年に発生。

本HPでは、

特に寺越外雄さん(平成6年に病死)とご家族に

スポットを当て、

最近の注目すべき動きについて

取り上げます。