1月 25

拉致被害者 有本恵子さんの出身地である兵庫県が

県として拉致救出支援の輪を更に広げるべく

世論喚起のためのグッズとして独自のバッジを先般,作製しました。

本会も有本恵子さんの御両親から直接いただくことができました。

(写真参照。本会作製のハート型バッジを背景に取り込んで頂いているものもある。)

heart_canribbon_can

そのようなバッジを作製いただいたからには

従来の各種バッジとともに、県の全職員がそれらを着用し

全県あげての拉致救出の世論喚起に努めてもらいたいものです。

そして、日本国中の全自治体も兵庫県に是非とも続いてもらいたい。

各地の街づくりを推進する日本中の全自治体の全職員が各種啓発バッジを着用し

拉致救出に向けた更なる世論喚起の先頭に立つことを信じてやみません!

11月 24
拉致被害者の生存情報が飛び交い
年老いた被害者家族が必死に身を削りつつ救出を訴え続けても
一向に進展を見ない 北朝鮮による日本人拉致問題。
全く何の罪もない一国民が無理やり家族と切り離され他国で自由を奪われ続けているのに
また
明らかに国の主権、名誉、尊厳が もう半世紀近くも傷つけられ続けているのに
残念ながら結果として全くどうすることもできない 日本。
拉致問題から浮かび上がってくる致命的とも言える国の浮沈に係わる大問題は
私たちの国 日本は、また私たち 日本国民は
果たして世界の常識、国際常識に照らして
真っ当な国なのか?真っ当な国民なのか?
という余りにも深刻な問題であると結論づけざるを得ません。
本会が『救出支援、国なおし!』をスローガンとして掲げ、「ブルーリボン運動」、
とりわけ『日の丸ブルーリボン運動』を強く推進する所以も この点にあるのです。
このまま いたずらに時間だけが経過してしまうことは
日本国が、そして一人残らず今を生きる私たち全ての日本国民が
故なくして連れ去られた同胞を見捨て見殺しにしてしまう
まさに亡国へと通ずる道をひた走ってしまうこと 以外の何ものでもないでしょう。
救出は即ち救国であり
私たち一般庶民の力は 余りにもチッポケなものです。
しかし、「拉致は絶対に忘れない!許さない!」
「日本を根本から再建する覚悟で拉致救出に当たるべきだ!」といった強い想いや信念は
意識、良識さえあれば、また、ごく真っ当な国民でありたいという常識さえあれば
誰にでも、子供にだって抱けることです。
そして、ブルーリボン バッジ等を通じて簡単に意思表示できることです!
その小さな ごく当たり前の想いを、何十万、何百万、何千万と、一つ一つ積み上げ
日本中に 救出と救国のシンボル、『日の丸ブルーリボン運動』の”絆”として
早急に確固たるものにしなければなりません。
いま日本国民の、特に心ある日本国民の、今一歩を踏み出す勇気と信念が問われています。
ご支援いただいている皆様方に更なる ご理解と ご支援をお願い申し上げます

拉致被害者の生存情報が飛び交い

年老いた被害者家族が必死に身を削りつつ救出を訴え続けても

一向に進展を見ない 北朝鮮による日本人拉致問題。

全く何の罪もない一国民が無理やり家族と切り離され他国で自由を奪われ続けているのに

また

明らかに国の主権、名誉、尊厳が もう半世紀近くも傷つけられ続けているのに

残念ながら結果として全くどうすることもできない 日本。

拉致問題から浮かび上がってくる致命的とも言える国の浮沈に係わる大問題は

私たちの国 日本は、また私たち 日本国民は

果たして世界の常識、国際常識に照らして

真っ当な国なのか?真っ当な国民なのか?

という余りにも深刻な問題であると結論づけざるを得ません。

本会が『救出支援、国なおし!』をスローガンとして掲げ、「ブルーリボン運動」、

とりわけ『日の丸ブルーリボン運動』を強く推進する所以も この点にあるのです。

このまま いたずらに時間だけが経過してしまうことは

日本国が、そして一人残らず今を生きる私たち全ての日本国民が

故なくして連れ去られた同胞を見捨て見殺しにしてしまう

まさに亡国へと通ずる道をひた走ってしまうこと 以外の何ものでもないでしょう。

救出は即ち救国であり

私たち一般庶民の力は 余りにもチッポケなものです。

しかし、「拉致は絶対に忘れない!許さない!」

「日本を根本から再建する覚悟で拉致救出に当たるべきだ!」といった強い想いや信念は

意識、良識さえあれば、また、ごく真っ当な国民でありたいという常識さえあれば

誰にでも、子供にだって抱けることです。

そして、ブルーリボン バッジ等を通じて簡単に意思表示できることです!

その小さな ごく当たり前の想いを、何十万、何百万、何千万と、一つ一つ積み上げ

日本中に 救出と救国のシンボル、『日の丸ブルーリボン運動』の”絆”として

早急に確固たるものにしなければなりません。

いま日本国民の、特に心ある日本国民の、今一歩を踏み出す勇気と信念が問われています。

ご支援いただいている皆様方に更なる ご理解と ご支援をお願い申し上げます

6月 7

この有本さんご夫妻のメッセージは、救う会全国協議会が収録されたものを、

有本さんご夫妻ならびに救う会兵庫長瀬代表の承諾を得て発信させて頂いております。

是非お聞き下さい。

5月 23
「拉致被害者」救出が一向に進まない”ワケ”
icon1 ooya | icon2 拉致問題の真相ードキュメント | icon4 05 23rd, 2011| icon3コメントは受け付けていません。

著書『国家の品格』が大きな話題を呼んだ

数学者でお茶の水女子大学名誉教授 藤原正彦先生著

『日本人の誇り(文春新書)』が先月、出版されました。

その中で、藤原先生いわく

「 かつての日英同盟は日本軍が頼りになったから結ばれました。

日英同盟のごとく対等かつ堅固な日米同盟があって初めて、

中国の脅しにびくともせず、

北朝鮮の拉致日本人を他国に頼らず奪還できる国家ができ上がるのです。

アメリカの属国でなく対等なパートナーとなるのです。

自らの国を自分で守ることもできず他国にすがっているような国は、

当然ながら半人前として各国から侮りを受け、

外交上で卑屈になるしかありません。

そして国民は何よりも大事な祖国への誇りさえ持てなくなってしまうのです。」と。

国家が品格を、そして国民が誇りを取り戻すことなくして、

拉致問題の解決はおろか、前に進むことさえ出来ません。

日本が日本そのもの(真の独立)を取り戻すことなくして、

私たちの悲願である拉致被害者全員の救出はあり得ません

私たちが「日の丸ブルーリボン」に込めた想いを

今一度、ご一考ください。

救出支援・国なおし!

5月 21

この度、日本政府が寺越さんらの拉致認定を見送ったことは

いわば「日本国は日本人拉致被害者を見殺します」というにも等しい、

とんでもない、誤ったメッセージを

全世界に発してしまった、といっても過言ではない許されざる暴挙です。

まさに日本国政府による明白な売国行為といってもいいのではないでしょうか。

ああ、売国政府、売国政権、売国国家!?!?

拉致担当大臣(政府あげて取り組むべきで本来必要なし!)が

在任期間だけブルーバッジを儀礼的に付けるのは如何なものでしょうか?

(ブルーバッジを着用するなら首相以下全閣僚が常時着用すべきでしょう。

もっともそれが出来るくらいなら、ここまで本件が長引くことはなかったでしょうが、、、)

ブルーリボンバッジの着用は、本来、

明確な意思をもって全拉致被害者の救出を心から祈念し、

各自がそれぞれのやり方・方法で行動し続けることの

決意表明でなければならないと思います。

それにしても

この度の寺越さんらの拉致認定見送りは憂うべき深刻な事態です。

国としての、また政権としての、最も基本的な「拉致」に対する姿勢は

ある事例に対して、それを拉致と正式に認定するか否かに、端的に表れると考えられますが、

菅政権は

世界の常識、当たり前の人の常識に照らしても

絶対に拉致としか考えられない事例を、国として公式に否定し去ったのです。

しかも、当初は前向きに対応すると言っておきながら。

加えて、多くの国民の目が大震災の復旧に注がれている時に、いわばコッソリと。

なんと姑息で卑怯なやり方ではないでしょうか!

またしても、現政権の正体みたり、の感をぬぐえません。

政府には猛省を求めるものであります。

しかし(所詮、時の政治や政権のあり方は、時の国民の縮図)、

これは、我われ日本国民が、一般庶民が試されている、ともいえるのではないでしょうか。

ひとり一人の良識、国民としての質が今、問われているのです。

『救出支援・国なおし!』

心あるお一人から、着実に心あるお一人へ。

良識の輪を広げてまいりましょう。

一層のご支援を!

5月 20
 北朝鮮による拉致は現代史上最悪の犯罪
icon1 ooya | icon2 拉致問題の真相ードキュメント, 日々前進 | icon4 05 20th, 2011| icon3コメントは受け付けていません。

米ワシントンのナショナルプレスビルで開催された米国北朝鮮人権委員会が行った

「『北朝鮮による外国人拉致犯罪報告書』」

の発表会の資料原文(英語)資料です

http://www.hrnk.org/download/The_Hidden_Gulag.pdf

リチャード・アレン委員長の迅速で前向きな姿勢を日本も見習うべきでは

5月 19
 めぐみさん生存の可能性、米人権団体が報告
icon1 ooya | icon2 拉致問題の真相ードキュメント | icon4 05 19th, 2011| icon3コメントは受け付けていません。

めぐみさん生存の可能性、米人権団体が報告

米国の超党派の民間人権擁護組織「北朝鮮人権委員会」が

北による外国人拉致に関して作成した報告書で

横田めぐみさん、有本恵子さん、田口八重子さん、増元るみ子さんら

日本人拉致被害者13人は

「北朝鮮でなお生存している可能性がある」と明記している模様。

同委員会はリチャード・アレン元大統領補佐官ら元政府高官や

元議員、人権活動家らによって設立された団体とのこと。

海外でもこのような動きがあることは心強いことである。

それにしても

一独立国として

国民の命と国の主権を守るべきわが政府は

拉致救出に向けて現在、一体どんな取り込みをしているのか???

5月 13
 家族会・救う会が寺越事件について声明を発表
icon1 ooya | icon2 拉致問題の真相ードキュメント | icon4 05 13th, 2011| icon3コメントは受け付けていません。

家族会と

その家族会を終始真近で支え

拉致救出を国以上に(本来は国の仕事!)中心となって牽引してきた救う会が

寺越事件に対する声明を去る8日発表した。

両会に心から敬意と支援の意を表し以下に転載させていただきます。

HP読者の皆さんには、是非ご一読の上、更なるご支援を乞う!

○家族会・救う会の寺越事件に対する声明

菅政権は誤った再検討結果を撤回し、ただちに寺越事件を拉致認定せよ

1963年5月11日、漁船操業中に北朝鮮に拉致された

寺越昭二さん、外雄さん、武志さんの3名について、

昨年12月10日、家族会・救う会・拉致議連代表と面談した菅直人首相は、

政府認定を視野に再検討すると約束した。

ところが、半年近くを経た5月7日夜、

政府が寺越昭二さんの家族に伝えてきた再検討結果は

「関係機関で会議を開いたが、認定できない」という

完全に期待を裏切るものだった。

とりわけ、北朝鮮に抑留されつづけていて

自由な言論が保障されていない武志さんの「証言」や

北朝鮮当局の嫌がらせを怖れる武志さんの母の意向を

認定回避の理由とする姿勢は、

政治責任のあからさまな放棄と言わざるを得ない。

北から見れば、

「拉致認定されそうなケースがあれば、そのお母さんを脅せばよい。

そうすれば動きを止められる」とのきわめて誤ったメッセージとなろう。

首相自ら再検討を約束しながら、

結局、拉致は国家として許さないとの原則を崩した今回の決定により、

今後、個々の拉致被害者や家族に対する北の脅迫がむしろ強まりかねないと危惧される。

われわれは菅政権に対し、誤った再検討結果を撤回し、

ただちに寺越事件を拉致認定するよう強く要求する。

平成23年5月8日

北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 飯塚繁雄

北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 西岡力

5月 10

本会の支援者から

「インターネットテレビの動画で、あの青山繁晴さんが

日本ブルーリボンの会のブルーバッジを着けておられましたよ」

とワザワザ教えていただきました。

青山先生と言えばテレビ番組でも安全保障や外交など

幅広い分野で極めて的確な評論、言論活動を展開されている

現代を代表するオピニオンリーダーのお一人。

平沼赳夫先生、田母神俊雄先生、そして青山繁晴先生など

今の日本にとって絶対になくてはらないトップリーダーに

本会のバッジをご着用いただき本当に心強い限りです。

しかし、拉致救出が全く前に進まないことを挙げるだけでも

そのような感傷にひたっている場合では全くありません。

どうか先生方

元気なく弱りきった状態で迷走し続ける日本を

『拉致救出』そして『国なおし』へと導いて下さい。

日本ブルーリボンの会も更に尽力いたす所存です。

ご支援いただいている皆さま、一層のご支援をお願いします!

5月 7
拉致問題等に関する特別委員会 丸川珠代議員
icon1 nbp | icon2 拉致問題の真相ードキュメント | icon4 05 7th, 2011| icon3コメントは受け付けていません。
少し見にくいので左記の要領で視聴くださいniconico案内

この時期だからこそ大切だと思います
5月 7
 あの”sengoku38″氏も拉致問題を憂慮!
icon1 nbp | icon2 拉致問題の真相ードキュメント | icon4 05 7th, 2011| icon3コメントは受け付けていません。

本のオビに、

「私が尖閣ビデオを流した本当の理由」と書かれた

「何かのために sengoku38の告白(朝日新聞出版)」

と題する著書の中で

著者である元海上保安官・一色正春氏は

拉致問題等の懸案を日本人は風化させてはならない、といった

「思いが、私が本書を書こうと思ったきっかけの一つであった。」

と明記されている。

本書は心ある日本人必読の書である。是非ご一読願いたい!

<本書より>

私は、今回、中国がとった措置は明らかに異常であり正しいとは思わないが、

一方で「中国らしい」「中国の立場であれば当然である」と考え、

むしろ日本側の対応に問題があったのではないかと思う。

そして拉致問題を抱え、武力行使を制限されている日本は、

このような手法からも外交を学ぶべきであろう。

軍事力を背景にしなくとも、経済力だけで、これくらいのことができるのである。

まあ、これくらいでやられてしまう日本が弱いことも確かではあるが。

たった一人の国民(しかも犯罪者)を救うために

中国は全力で日本に立ち向かってきた。

かたや我が日本は12名(拉致の可能性の高い特定失踪者を含めると数十名)もの

拉致被害者を未だに取り返せないでいるばかりか、

相手に拉致問題は解決済みとまで言われている始末である。

中国を見習うべきであるとは言わないが、

国民の生命を守るのが国家の一番の仕事であるのに、

この違いは何なのであろうか。

私は民間の船会社に勤めているときに、

イラン・イラク戦争や湾岸戦争が起こっている最中のペルシャ湾から

日本へのエネルギー輸送に従事していた経験から、

日本の国が外地にいる日本人を積極的に守ってくれるケースは

少ないことを知っていたが、

拉致問題はあまりにも悲しい現実である。

拉致問題だけでなく、

過去にも日本の漁船が他国に拿捕された事例を見ると、あまりにも空しい。

今からでも日本という国が全力を挙げて取り組み一人残らず取り返し、

失われた誇りを取り戻すべきである。

拉致問題をこのまま放置しておくのは日本国全体の恥であり、

一刻も早い奪還を望む。

なにより当初は、あれだけ高かった国民の関心が、

最近は薄れてきているような気がしてならない。

日本人は忘れやすいという言葉だけでは済まされない。

なにしろ日本人は、あの戦争の記憶だけは、70年近く覚えているのだから。

尖閣諸島の問題で「領土問題は存在しない」と

同じ文言を念仏のように唱えているのと、

拉致問題で「政府は北朝鮮に対し、すべての被害者を一刻も早く帰国させるよう

強く働きかけています」と繰り返し述べているのと何か似ていないだろうか。

領土問題がないのであれば、純粋に国内法で処理できるはずなのに、

なぜそうしないのだろう。

ロシアなどは、日本の漁船は北方領土付近で操業すると、

銃撃までしてくるではないか。

拉致問題にしても、誰がどのように強く働きかけているのかまったく見えない。

日本人はこれらの問題を風化させてはならない。

この思いが、私が本書を書こうと思ったきっかけの一つであった。

3月 13

国内観測史上最大の巨大地震が発生。

広範な巨大津波の発生とあいまって

東北地方を中心に東日本で未曾有の大災害が発生しました。

被害の全容は未だ明らかではありませんが

犠牲となられた方々に対し衷心より哀悼の意を表しますと共に

被災された方々には心よりお見舞いを申し上げたいと存じます。

また現在も懸命に展開されている救出活動に対し

どうかどうか、天の神のご加護がございますよう、切に切にお祈り申し上げます。

長年にわたり拉致問題が解決に向け全く進展しないことに象徴されるように

我が国は長年にわたり、政治、経済、教育等、あらゆる分野で

極めて不甲斐ない状況を呈し、混迷を続けてきた上に

このたびの大災害が発生したことは

まさに、はっきりと目に見える形で

我が国が今大きな国難にあり、

極めて深刻な危機に直面していることの証左であると存じます。

国家の総力を救出・復旧へと傾けるとともに

今こそ我々日本国民は

各々が改めて襟を正し、自身の分・役割をしっかりと弁え自覚し

それを着実に果たすとともに、小さな考えや立場の違いを乗り越え

まさしく挙国一致、一億一心、

心を一つにして

『真に国を守り国民の命と安全を守る体制』を再建しなければならぬときと存じます。

原発は一体どうなってしまうのか、

今回の地震と南海、東南海地震との関連はどうか等々

事態はまだまだ予断を許しませんが

とにかく挙国一致、

一億一心のときと存じます。

1月 27

「卒業式でブルーバッジつける!」或る高3生のコメントに感激!

本会の日の丸ブルーリボン・バッジを求めたい旨

或る高3の男子生徒からメールをいただきましたが

そこには

「以前から拉致問題には関心を寄せていた。

自分が通う学校には拉致問題には関心を示さない左翼系の教師が多いが

卒業式にはブルーリボン・バッジをつけて臨みたい!」

といった趣旨のコメントが添えられていました。

何と心強いコメントではありませんか!

いつの時代も

厳しい状況、困難な局面を切り開いてきたのは

若い力、若いエネルギーです。

「ブルーリボン運動」は

老若男女を問わず、また、国籍を問わず、

拉致だけは絶対に許さない、忘れない、という

思いさえあれば

どなたにでも御参加いただける支援活動です。

特に時代を担う若い世代には是非とも御参加願いたい運動です。

全国の心ある高校生、大学生諸君!

今こそ

”立ち上がれ!”

『拉致救出・支援、国なおし!』

1月 22
拉致被害者 田口八重子さん生存情報
icon1 ooya | icon2 拉致問題の真相ードキュメント | icon4 01 22nd, 2011| icon3コメントは受け付けていません。

拉致被害者 田口八重子さん生存情報

<平壌で韓国人と生活>

報道によると

拉致被害者 田口八重子さんが昨年の時点で

北朝鮮の平壌で複数の韓国人拉致被害者の近くで

暮らしているとの情報を

昨年末、日韓両国が北朝鮮筋から入手したことが判明したらしい。

日本政府関係者が明らかにしたようだ。

田口八重子さんについては

昨年8月3日の衆院拉致問題特別委員会で当時の中井拉致問題担当相が

「2003年まで元気で平壌に住んでいたとの情報がある」と発言したが

今回の新情報は関係者によると”中井氏の得た情報と同一線上の話”で

居住地等に関する詳細な未公開情報と直近の生存消息が含まれているらしい。

日韓情報当局が分析を進めているとのこと。

関係者の談として

田口さんは平壌市万景台区域倉広通りの共同住宅で暮らし

1978年にノルウェーで失踪した元高校教師の高相文氏ら

韓国人拉致被害者の男性2人とともに行動する姿が目撃されたと報じている。

もう1人の韓国人男性は田口さんと結婚している可能性があるとも。

さらに報道によると

北朝鮮筋からは中井氏の発言後の昨年12月そうした情報を

”最近入手した話”として

共同住宅の詳細な住所とともに日本政府に伝えられたようである。

(韓国政府にも同じ情報が伝わっているという。)

高相文氏は1994年7月、人権団体アムネスティ・インターナショナルが

北朝鮮の政治犯収容所に拘禁中の政治犯の一人だと発表。

直後に北朝鮮は、高氏は望んで北へ入った「義挙入国者」で

地質学研究者として勤務していると主張したとのこと。

韓国政府は高氏を拉致被害者と認定している。

1978年に拉致された田口八重子さん。

田口さんはその後、同じ拉致被害者の原さんと結婚し

1986年に交通事故で死亡したと北朝鮮は主張(???)している。

田口さんは生きている!

有本さんも生きている!

横田さんも生きている!

数多くの拉致被害者は今も生きている!

必ず生きている きっと会える!!

それにしても、何故

このようなニュースがもっと大きく報じられないのか???

拉致救出・支援 国なおし!

1月 1
平成23年新春 年賀
icon1 ooya | icon2 拉致問題の真相ードキュメント | icon4 01 1st, 2011| icon3コメントは受け付けていません。

謹 賀 新 年

本年であの阪神・淡路大震災から16年。

改めて犠牲者の方々のご冥福をお祈り申し上げると共に

震災の教訓を心に刻みなおしたいと存じます。

その大震災が発生したもっと、もっと前に他国へ拉致され

今も厳しい生活を余儀なくされ続けている方々がいます。

横田めぐみさん、有本恵子さんたち

北朝鮮による拉致被害者です。

拉致は明白な国家主権の侵害。

解決に向け全く進まない中、

黙っている事は結果的に、被害者を見捨てる事。

そんな国に明るい未来はありえません。

『ブルーリボン運動』は、誰にでもできる

”拉致”救出・祈念の明白な意思表示。

一層のご支援を。

平成23年 新春

”拉致”救出・支援、国なおし!

日本ブルーリボンの会 代表 大矢卓志

12月 7
寺越文雄さんの申述書
icon1 ooya | icon2 寺越事件について, 拉致問題の真相ードキュメント | icon4 12 7th, 2010| icon3コメントは受け付けていません。

平成22年2月24日
拉致問題担当大臣 中井 洽 殿

寺越外雄の兄 寺越文雄
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 飯塚繁雄
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 藤野義昭
救う会兵庫代表 長瀬 猛

要 請 書

拉致問題の解決のためにご尽力を頂き、誠にありがとうございます。
ご承知の通り、寺越外雄は、兄・昭二、甥・武志とともに昭和38(1963)年5月11
日、北朝鮮に拉致され、平成6(1994)年9月5日に彼の地で客死しました。しかし、
現在も妻(韓福生)とその2人の子ども(長男・明哲、長女・明心)は厳しい環境の中、
彼の地で必死に生きています。
昭和62年(1987)1月22日、外雄から生存を知らせる手紙を手にして以来、寺越文
雄をはじめとする兄弟、親戚は、みんな必ず帰ってくると信じ、金品を送ったり手紙で
励ましたりしながら、今日までやってまいりましたが、寄る年波には逆らえず、希望の
光も遠のいて行くような気がいたします。
そこで、このたび寺越文雄が手元で保管していた手紙や写真などを元に、外雄の家族に関する基本的な事柄を整理して、彼らが本来もっている日本国籍を確認して頂き、その保護と人権の回復をお願いしようと思い、本状を持って参った次第です。
何卒、政府一丸となって下記の事項に付き果敢に行動して頂きたく、お願い申し上げます。

要請事項
1 政府は、寺越事件を北朝鮮による拉致事件と認定すること。また、寺越外雄の家 族を拉致被害者家族として位置づけること。
2 法務省は、寺越文雄らが進めようとしている寺越外雄の戸籍上の死亡日の変更、長男長女の戸籍作成作業を支援すること。
3 外務省は、北朝鮮との交渉において寺越外雄の妻と子ども、そしてその配偶者及び直系子孫について、安全を確保し日本への帰国を求めること。

●資料

寺越外雄さん家族関係資料
(平成22年2月24日・救う会まとめ)

1 人的関係
寺越外雄
昭和14年(1939)2月7日生まれ
寺越嘉太郎、こきん夫婦の4男
昭和38年(1963)5月11日 次兄・昭二、長兄の息子・武志とともに石川県近海で北朝鮮により拉致される
昭和62年(1987)1月22日 日本の家族にはじめて手紙が届く
昭和62年8月30日 長兄で武志の親である寺越太左ヱ門・友枝夫妻が初訪朝、社会党代議士嶋崎譲が同行、外雄とその妻、2人の子どもとも面会
平成6年(1994)9月5日 外雄、肺がんのため死亡。享年55歳

外雄の妻
韓福生
大阪出身の在日朝鮮人
昭和35年(1960) 母(韓福順)、妹と北朝鮮へ帰国(父、姉は日本残留)
昭和45年(1970)※ 外雄と北朝鮮で結婚 (結婚年は嶋崎譲『再会』による)

外雄の長男
金(寺越)明哲
昭和46年(1971)生まれ 誕生月日は不明
平成8年(1996)万豊大学獣医畜産学部卒業
専門学校の講師となる、4年で退任
平成12年(2000)8月8日 結婚、娘が一人
亀城牧場の畜産技師(現職)

外雄の長女
金(寺越)明心
昭和49年(1974)生まれ 誕生月日は不明
平成21年7月の「手紙」によると、美容師を目指しているという

2.寺越文雄証言
昭和11年2月12日生まれ
寺越嘉太郎、こきん夫婦の3男
(なお拉致被害者、寺越昭二は次男、外雄は4男、武志は長男太左ヱ門の長男)
平成9年6月27日の寺越武志「死亡取り消し決定」を受けて、海上保安庁から私(寺越文雄)に「外雄さんはどうしますか」と尋ねられました。
私(文雄)は、「もう死んでしまった人間の、死亡日を変えても仕方ない」と思い、
この申し出を辞退してしまいました。その結果甥の明哲、姪の明心が生まれながらに
持っているはずの日本国籍が確認できなくなってしまいました。
このような経緯により、本要請に至った次第です。

甥の明哲、姪の明心の生年は分かりましたが、誕生月日は、残念ながら私の手元の
手紙などからは分かりません。しかし、20年以上にわたる手紙のやり取りと多くの写
真から、2人が外雄の子供であると確信しています。

昭和62年1月、外雄から初めての手紙が届き、同年8月、太左ヱ門・友枝夫妻が初訪朝、社会党代議士嶋崎譲が同行しました。この第一回目の訪朝には、私(文雄)も参加する予定でしたが、長兄の太左ヱ門に譲ったのです。当時は、3人ともすぐに帰って来られると思っていました。
平成2年8月、太左ヱ門・友枝夫妻が二回目の訪朝、社会党代議士嶋崎譲がその際も同行しました。この訪朝で、病死したとされる昭二の「遺骨」と称するものが引き渡
されました。しかし、中身は土だったのです。
三回目の訪朝からは、友枝単独になります。これ以降、友枝の訪朝は繰り返され、
親族は彼女に金品を託しました。
しかし、外雄の家族からの希望で、別に分けて送るようになりました。
平成6年9月5日 外雄が肺がんのため死亡したと伝えられました。享年55歳です。その後も外雄の家族との手紙のやりとりと金品支援は続けました。
平成7年1月17日に阪神大震災が発生、被災しました。昭和62年から始まった物的支援は、震災をもって一旦終了しました。理由は、全壊した店舗と住宅の再建で余裕がなくなったのと、二人の子供も大きくなっており、いつまでも支援に頼っていてはい
けないと考えたからです。
平成12年8月8日、外雄の長男・明哲が結婚しました。結婚祝いなどを、新婦の関係
者に託しました。
平成14年9月17日 小泉首相の訪朝、日朝平壌宣言の調印。金正日が拉致を認めたことを受け、寺越家として声を上げることになります。
平成22年2月23日 福生さんから最後の手紙が届きました。

3.明哲、明心の出生年を証明する手紙
明哲 1971年生まれ
明心 1974年生まれ

(1)外雄、福生から文雄へ 1988年1月2日付け
「僕の長男明哲は今年17歳で9月に中学校を卒業します。僕の考えでは大学に進学(医大、又は機械大学)させようと思います」

(2)外雄から文雄へ 1989年1月11日付け
「新しい年を迎え僕は50才、妻は43才、明哲は18才、明心は15才に成りました」
※外雄は1939年2月7日生まれ

(3)明哲(長男)から文雄へ 1994年12月8日付け
「今年わが家では不祥事ができた。ちちかわたしたちの至誠と企待に逆に身病と因な
苦痛中9月5日死亡した。只今全家族は断腸の思いています。(原文まま)(略)
万豊大学獣医畜産学部獣医畜産学科5学年 金明哲より」
※北朝鮮では大学5年生は満21-22歳

(4)福生から文雄へ 2001年10月9日付け
「明哲もみなさんの援助のかげで無事に結婚にゴールイン致しました。今年は明心の
番になりました。相手は中学校の先生で私の友達の息子さんです。(30才)明心も27才でヨメに行く年はもうすぎたんですが、明哲のためおそくなりました。」

寺越外雄の家族の出生年(救う会計算)
寺越外雄 妻・韓福生 長男・明哲 長女・明心
1939年2月7日生
1988年1月2日手紙(1)に記載 17歳
1989年1月11日手紙(2)に記載 50歳 43歳 18歳 15歳
1994年12月8日手紙(3)に記載 大学5年生
2001年10月9日手紙(4)に記載 27歳
※以上の事実から
家族出生年 1946年生 1971年生 1974年生
2010年2月24日現在年齢 64歳 39歳 36歳

以上

12月 7
『寺越事件から”拉致”を問いなおす』
icon1 ooya | icon2 拉致問題の真相ードキュメント | icon4 12 7th, 2010| icon3コメントは受け付けていません。

救う会兵庫 代表の長瀬さんから

12月12日(日)の拉致救出集会の開催に際し

以下の原稿をいただきましたので

掲載させて頂きます。

是非ご一読ください!

『寺越事件から”拉致”を問いなおす』

~12・12 救出支援集会に御参加を~

救う会兵庫 代表 長瀬 猛

寺越事件とは・・・

昭和38年(1963)5月11日、石川県羽咋郡志賀町沖合にてメバル漁操業中だった、寺越昭二さん(36歳)、寺越外雄さん(24歳)、寺越武志さん(13歳)が、行方不明となり、死亡認定された後の昭和62年(1987)1月22日に北朝鮮にて生存を伝える手紙が親族のもとに届き判明した事件。現在は武志さんのみ北朝鮮で生存しています。

本年10月8日に逝去された、寺越文雄さん(神戸市東灘区在住)は外雄さんの兄、外雄さんが北朝鮮でもうけた家族への支援を続けていました。

文雄さんは、北朝鮮で一大事が発生したときに、このままでは救出すべき対象から、彼らが外れてしまうのではないかと心配して、1.外雄の拉致認定、2.人身保護請求、3.家族の日本国籍の確認を政府に求めて行動を開始していた矢先、病に倒れ帰らぬ人となってしまいました。

昭和62年、生存の知らせを受け、寺越家は関係各機関に救出の要請をしました。そして当時社会党の衆議院議員だった嶋崎譲氏が、北朝鮮当局との交渉を担当し、寺越事件は「海難事故」とされ、寺越家は分裂してゆくことになります。

政府は寺越家の3人を拉致認定しない理由として、寺越武志さんが一時帰国を果たした折、自ら「拉致ではない」と否定したことを第一の理由としていますが、事件が明らかになった時点で、政府が全面的にこれを引き受けて交渉していれば、今のような事にはなっていなかったはずです。

私たち救う会兵庫は、亡き寺越文雄さんの遺志を引き継ぎ、外雄さんの家族の救出へと繋がる国籍認定を引き続き、政府に求めてまいります。

12・12集会では、昭和62年に製作された事件を伝えるドキュメント番組と、寺越文雄さんが遺された、遺言メッセージ(動画)を公開して、寺越事件から”拉致”を問いなおす契機にしたいと考えております。

是非ご参加ください。

また、本年2月に寺越文雄さんが拉致問題担当大臣に提出された要請書を

以下に転載しますので、併せてご一読ください。

11月 25

北朝鮮が、あろうことか韓国を砲撃した。

犠牲になられた方々のご冥福を心からお祈り申し上げるとともに

被害に遭われた方々に心よりお見舞い申し上げます。

しかし

ミサイルこそ飛んできてはいないが

我が国も

”拉致”という現在進行形のテロ行為を

何十年もの間

一方的に被り続けているといってよい。

この瞬間も

愛する家族と無理やり切り離され

ひたすら救出を待ち続けている罪なき同胞がいます。

有本惠子さんは生きている!

横田めぐみさんも生きている!

そして他の多くの被害者も必ず生きている!

それら被害者の存在から目を背けてしまうような国や民族に

明るい未来など開けようはずがあるまい。

北朝鮮による韓国砲撃を受け

心ある日本人は

改めて

現在進行形のテロ・”拉致”救出を強く意識し、絶叫すべきです。

11月 19

柳田拉致問題担当相は

これまで4人の閣僚で構成されていた

内閣の拉致対策本部を

全閣僚に拡大して

拉致解決にあたるという。

菅内閣は内閣あげて

拉致解決を目指す強い意思を

国内外に絶えず映像を通じて発信し続けるためにも

今すぐ

「ブルーリボン・バッジ」の着用を!

(支援者の皆さん、

ぜひお知り合いの国会議員等に働きかけて下さい)

10月 25
寺越文雄さんのご逝去に際して
icon1 ooya | icon2 拉致問題の真相ードキュメント | icon4 10 25th, 2010| icon3コメントは受け付けていません。

*寺越文雄さんのご逝去に際して

去る10月8日、外雄さんら拉致の真相究明を目指して

長年闘ってこられました寺越文雄さんが膵臓がんのため

お亡くなりになりました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

文雄さんのご逝去を受け

救う会・兵庫とご家族から

それぞれ以下のメッセージが公表されています。

是非ご一読ください。

寺越事件、そして全ての拉致事件の一刻も早い解決を

改めて心からお祈り申し上げます。

『寺越文雄さんのご逝去に際して(救う会兵庫 代表・長瀬猛 平成22年10月11日)』

10月8日(金)夕刻、寺越文雄さんは天国に旅立たれました。

弟外雄さんを思い、「どんなに帰りたかっただろうか」と

病床で涙を流された御姿が、今も胸を離れません。

外雄さんのご家族の日本国籍を確認する作業も緒に就いたばかりで、

「さあ、これからが五合目やなあ」と

登山に例えて自らを奮い立たせておられた文雄さんには、

頂上までご一緒するはずが、約束を果たすことが出来ず、

誠に申し訳ない思いで一杯です。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

文雄さんは予てから、「この運動は一代限り」と明言しておられました。

家族思いの文雄さんらしい考えですが、翻って考えれば

「頂上までは救う会が登って欲しい」と後を託されたという意味でもあり、

私たちにとって大変思いものがあります。

現在、寺越外雄さんは、死亡認定が取り消され、

法律上は石川県羽昨郡志賀町に生存していることになっています。

国の指導に基づき、外雄さんの死亡届を提出しましたが、

資料の客観性が乏しいとして、更なる証拠の提出を求められているのが現状です。

幸いこちらには、文雄さんから託された全ての書簡の写しがあり、

外雄さんのご家族と文雄さんのご遺族が、

手紙を通じて意思の疎通を図ることが可能です。

限られた手だてではありますが、最大限に活用して頂上を目指す所存です。

寺越事件を振り返ってみて、最も罪深いと思えることは、

昭和61年12月に生存を伝える手紙が届いた時点で、

何故外務省が全面的に支援して帰国交渉に当たらなかったのかということです。

結果的に社会党の国会議員であった嶋崎譲氏が特命大使のように振る舞い、

その後の寺越家を大きく惑わすことになりました。

文雄さんが語ったお話しの中に、以下のようなものがあります。

第3回目の寺越友枝さんの訪朝は、嶋崎氏を介さずに実施されましたが、

彼女の帰国を受けて彼は「よく帰ってこられたな」と、

寺越家の人々を前にして語ったそうです。

文雄さんは「恐ろしい」と感じたと、当時を振り返っておられました。

寺越事件の真相を明らかにして、亡き文雄さんの思いを結実させるということは、

日朝関係の闇を白日の下に晒すとことでもあり、極めて重要な意味があると思います。

私たち救う会兵庫は、文雄さんの遺言動画をお預かりしています。

ご家族と相談の上、近日中に公開させて頂きます。

これは、私たちが文雄さんのご遺志をしっかりと引き継ぐ闘いの、

第二幕の幕開けを意味するものであり、

絶対に一歩たりとも退かないという決意表明の場と致す所存でございます。

最後に改めまして、文雄さんのご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。

『家族からのメッセージ(寺越惠子 平成22年10月11日)』

10月8日金曜日の夜、私たちの手の届かないところへ旅立った寺越文雄について、

家族を代表して、ご挨拶申し上げます。

ただ今、告別式を終え、亡き夫の御霊は今まさに天に帰ろうとしています。

多くの人に見送られ、優しいお言葉をたくさん頂戴し、

子や孫に見守られた彼は、とても幸せだったと思います。

まずは、ご心配して頂き、慰めの御心を頂戴したたくさんの皆さまに、

感謝申し上げたいと思います。本当に有難うございました。

夫が唯一やり残したこと、それが

弟である拉致被害者の故・寺越外雄が、北朝鮮に残した妻や子、

そして孫の将来について、

安全を確保して帰国のための目途をつけるということでした。

色々な事情があって、外雄は拉致認定して頂けないので、

まずは彼の親族が持っている日本国籍を確認するという作業を進めている最中でした。

亡き夫は外雄の家族を支援するこれらの活動に携わりつつも、この運動は一代限り、

子どもたちへ引き継がせる訳にはいかないと、はっきり申しておりました。

しかし、私が一人で彼の遺志を引き継ぐのは、明らかに力不足です。

北朝鮮で暮らす外雄の家族とは、今も手紙のやりとりが続いています。

しかし、夫が亡くなったことと、これからのことを、

どのように伝えればよいのか、途方に暮れているというのが、今の偽りなき心境です。

外雄の家族を助けるために東奔した夫を亡くして、

あらためて拉致事件の残酷さを思い知らされています。

多くの拉致被害者のご家族が、同じような思いをなさっておられると想像しただけでも、

計り知れない深刻な問題だと思わずにはいられません。

今後は、救う会の方々とよく相談して、私ができる範囲ではありますが、

夫のやり残したことの続きをできないか、答えを出してまいろうと考えております。

今までのようにはいかず、ご心配をおかけすることも多いとは存じますが、

これまでと変わりなく、ご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。

また、この度の葬儀に際しては、お蔭様で穏やかに夫を送ることができました。

ご配慮を頂きました報道関係各社様に御礼申し上げます。有難うございました。

10月 2

弁護士法第1条第1項「弁護士は基本的人権を擁護し、

社会正義を実現することを使命とする。」、

第2条「弁護士は、常に、深い教養の保持と高い品格の陶冶に努め、

法令及び法律事務に精通しなければならない。」

以上は弁護士法の冒頭であるが、

およそ程遠い現実がご両親に突きつけられたのである。

嘉代子さんは、

「今でも私たちの何が最低なのか。きちんと説明してもらいたい」

と憤りを隠さない。

何よりも、

この「申し立て」が何故留保されたのかを聞く権利が、ご両親にはあるのである。

それとも、

擁護すべき基本的人権には、

助けるべき人権と不要な人権の2種類があり、

弁護士にそれを裁量する権利が委ねられているとでも言うのであろうか。

平成5年春、

有本恵子さんとご両親の人権は不要なものとして選別されたのである。(おわり)

*以上をもちまして、

『恵子、お母さんは待っていますよ!(「グローカルひょうご」より転載)』は

終了させていただきます。

10月 1

柳川弁護士の態度に、

ご両親は大変困惑した。

「もしかしたら私たちの行為が、

知らないところで誰かに

大変な迷惑をかけているかもしれない」と思い、

暗澹たる気分になったと嘉代子さんは言う。

当時は未だ「家族会」も「救う会」も存在しておらず、

事の次第を相談すべき人も分からず、

いたずらに時間の経過を許す他なかった。

日弁連からは、その後なんの音沙汰もなくなってしまった。

「・・・期待しない様に」と言っておきながら、

その結果さえ知らされなかったのである。(つづく)

9月 30

「あんた等は最低な事をしてきている、、、」

まだ何も詳細に触れていないにも拘わらず、

声の主は「暴言」を吐き、そして、

「申し立ては受けているが、

本委員会で取り上げられるかどうかは期待しない様に、、、」

と続けたのである。

まさに後ろから頭を殴られたかの如く、

明弘さんは相手の意図する事が分からなかった。

その後2度目の連絡の折にも、

彼は「暴言」を繰り返したという。

また、嘉代子さんも

「娘の救出に関して色々な人と話しましたが、

あれほど不愉快な事はありませんでした(当時)。

何か面倒臭そうに、高圧的で、

耳元で何度もため息を繰り返されたのです。」

と当時を振り返る。

声の主、その人は柳川昭二という弁護士だった(つづく)

9月 28

それから遡ること約2年の平成3(1991)年1月7日は、

毎日新聞をはじめとする各紙が

一斉に恵子さんの事件を報じた日であるが、

同紙の記事を担当した山崎記者は、

この「公開セッション」に明弘さんを招き、

ある人物と引き合わす事を企画した。

その人物は大阪弁護士会に所属する藤田一良弁護士だった。

明弘さんは恵子さんの経緯をひととおり説明し協力を要請した。

そして2~3ヶ月後のある日、彼から連絡が入る。

「私は現在の大阪弁護士会会長と懇意だが、

間もなく会長が交代してしまうので、すぐに来て欲しい」

という事だった。

明弘さんと嘉代子さんは、

手元にあったすべての資料を携えて同弁護士会を訪れた。

藤田弁護士は「うち(大阪弁護士会)では荷が重過ぎる」と言い、

日本弁護士連合会(日弁連)へ送付して、

人権救済を申し立てる他に道はないという事をご両親に伝え、

諸手続きを代行する事を約束した。

ちなみに藤田弁護士からはその後も連絡が有り、

今でも(当時)ご両親とは懇意にされているという。(つづく)

9月 27

あんたたちは最低な事をしてきている

平成4年12月2日、

大阪市北区の毎日新聞本社内オーバルホールにて

「南北統一に関する公開セッション」が同社主催で催された。

明弘さんは主催者側の招待客として

シンポジウムの成り行きを客席から見守っていた。

同新聞の12月17日朝刊には、

この催しの事が詳しく特集されている。

記事によれば、

民団と総連の関係者が一同に会し、

統一問題を話し合ったとあり、

団体としては欠席した総連の幹部が

個人の立場で意見を表明している点を高く評価している。

有本さんの意見は、僅かに

「北朝鮮に滞在するすべての日本人の名簿を公開して欲しい」

とだけ報じられているが、

特筆に価する内容は見当たらない。

しかし、この日はご両親にとって、

その後に重大に影響を及ぼす事になるのである。(つづく)

9月 22

今回の陳情にあたっては、

Iさん(北海道)とMさん(熊本)の同時救出も要請されたそうであるが、

同席していた外務省担当者からは、

「家族からの救出願いも出ていない人について、

(北朝鮮との交渉に)取り上げるのは難しい」という反応のみだったという。

相変わらずの木で鼻をくくったような役所答弁ではあるが、

見方を変えれば、喫緊の交渉においては、

恵子さんの救出に重点が措かれている可能性を読み取る事ができる。

ご夫妻は異口同音に「原則論で押し切って欲しい」と

期待を口にされたが、楽観視はできない。

「訪朝」は極めて重大な結果をもたらすかもしれない。

私たちはご両親が体験された19年<当時>を記録する使命がある。

今は注目の17日の結果を、息を潜めて待つしかない。

今回伺うお話は、このシリーズを始めた当初より再三お聞きしており、

ご両親にとっても忘れる事の出来ない、ある「疑念」についてである。(つづく)

9月 21

今回の「訪朝の背景」については、

「9月中には東シナ海の不審船も引き揚げられ、

拉致事件への世論の関心も再燃するだろう、

そうなれば国交正常化に向けた動きは完全に滞ってしまう。

(日本政府側に)そういう焦燥感があって

スピーディな決断に至ったのでは?」と

懐疑的な一面も<明弘さんは>お持ちである。

そして、それを裏付けるかの様に数日後の新聞には,

「植民地支配に対するお詫びは、謝罪決議における村山発言を踏襲する」

などのニュースが伝えられ、ついには

「国交正常化交渉の再開は確実(読売新聞)」という新聞報道まで登場した。

一方、嘉代子さんは「娘が戻ってくるとしても、

(Iさんとの間に生まれたと推測される)子供(孫)が

人質に取られる様な事だけは絶対に嫌です。」と語気を強める。(つづく)

9月 20

日朝首脳会談実現か!

9月1日(日)<平成13年>、

一昨日より殺到していたマスコミも一段落し、

落ち着きを取り戻した有本家へ伺った。

挨拶も早々に、「訪朝問題」に言及する明弘さんは、

「近いうちに何らかの結果が出るのでは?」と、

いつになく上機嫌ではあったが、

浮き足立った様子もなくいたって冷静に見受けられた。

これはもしかすると事前に何らかのレクチャーが

当局によりもたらされたのではないだろうか?

と思い、単刀直入に質問してみた。

明弘さんは、レクチャーがあったのか否かについては明言を避けた。

しかし8月にも都内某所にて外務省の職員に対し、

2時間程度の陳情の機会があった様である。

「この際、言うべきは言って欲しい。

資金提供などの援助要請に応じるべきではないと申し入れた。

そのときは(解決までの)2~3年を見越した長期展望を念頭において話したが、

今回の電撃発表を耳にした瞬間は、もしかしたら、、、と感じた。」と

慎重に言葉を選びながら語った。(つづく)

9月 19

8月30日(金)<平成13年>の昼下がり、

得意先との約束にはまだ充分な時間があった私<救う会兵庫 長瀬代表>は、

北陸道を北へ向かってつかの間のドライブを楽しんでいた。

すると、

ダッシュボードに無造作に置いてあった携帯電話が鳴り始めた。

「もしもし、、、」見慣れぬ電話番号を示していたそれは、

神戸のローカルテレビ局の記者がもたらした第一報だった。

記者 「もうご存知ですよねえ、、、」

私  「えっ?」

記者 「ああ、まだお聞きになってないですか、

小泉首相<当時>が訪朝するそうですよ!」(つづく)

9月 18

「日本のマスコミや在日朝鮮人総連合会は

北朝鮮を『地上の楽園』だと宣伝していた。

今にして思うと、特に日本のマスコミのそれは

社会主義への幻想とかつての植民地支配への贖罪意識から

実情を見極めないまま行った手放しの讃美に過ぎないものだった、、、。

政府が事件解決を大幅に遅らせてまで

「何に遠慮しているのか」を探るとき、

行き着くひとつの答えを暗示しているかの如き一文である」

ODAであれ米支援であれ、

その一部を何らかの形で懐に収めようとする行為は、

司直の手に委ねられるべき罪である。

一方「臆病病」は、政治家や官僚あるいはマスコミ関係者が

自らの良心を何処に求めるかが問われているのであり、

道義的責任は狭義な「罪」には問われない。

故になおさら「罪深い」のである。

なぜならその人々には「罪」の意識が欠落しており、

進行性の強い悪性腫瘍に似て気づかないうちに

事態を悪化させてしまうからである。(第10回おわり 次号へつづく)

« Previous Entries