10月 29
新しいロゴが出来ました
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日本ブルーリボンの会の新しいロゴが出来ました

世界中にアピールできるようにデザインしました。

よろしくお願いします。

10月 23

話は変わるが、

ブッシュ政権のパウエル国務長官は

14日の記者会見で、

「テロ実行犯だけでなく、それを支援する組織、かくまう国家に対しても武力行使は及ぶ」

と明言した。

「新たな戦争」が本当に「テロリズム」対「民主主義」ならば、

支援者の「市民」の方々には、

ご自宅の地下に防空壕の構築工事をお勧めする。

「人道」の名のもとに彼らを擁護する、

マスコミ関係者は直ちに出国して、

平壌支局からの放送に切り替えなければならない。

さもなくば東京や大阪が空襲されても仕方ない。

冗談みたいな話だが、

どこの先進国に

「テロリスト」の支援者を「市民」と訳すマスコミがあろうか、

彼らはれっきとした過激派であり、

テロリスト「日本赤軍」のシンパである。

金子の帰国が迫る今、

マスコミによる「人道」と「市民」の履き違えを厳しく監視する必要がある。

(第6章日本赤軍よど号グループ②おわり。以下つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 22

八尾恵氏が被告人だった頃、

「旅券返納命令違反」での起訴に対し、

「市民」団体などが人権擁護の立場から支援した。

約14年が経った今(当時)、

それが再現されようとしている。

金子恵美子に関しては

、早くも

「墓参もさせないとは・・・」

とか

「北朝鮮への入国に便宜を図った人物(キム・ユーチュル→カストロップ空港で有本恵子さんと一緒に居るところを撮影された工作員)を一方的にスパイと決め付けている」

などと、

前出「かりの会」をはじめとする国内支援者が発言している。(つづく

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 20

八尾恵氏の手記には、

「ハイジャック犯メンバーにも結婚相手を見つけて、

代を継いだ革命を

行っていかなければならない」

とする

金日成の“教示”

が発せられ(1977年5月6日)、

五六課が設置されたとある。

なお、

文中にある、

「本当はモンゴルに行きたかったのに・・・」と

胸中を八尾氏に吐露したという、

福留貴美子さん(岡本武の妻)は、

「よど号の妻」の中で唯一、

「本人の意思ではなく北朝鮮に来た人物」すなわち「拉致被害者」である

。(拉致の目的「いったい何の為に・・」おわり。以下つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 19

高沢氏の著書「宿命」によれば、

「日本人革命村」なる特殊施設にて、

日本人を培養していた目的とは、

「日本における金日成(主体思想)革命の実践」である。

これに従い、

第一世代(よど号グループ)から

第二世代(子どもたち)へと

コマンドを養成すべく、

「結婚作戦」、

「日本人獲得作戦」などという

、余りにもグロテスクな構想を、

国を挙げて取り組んでいた。

否、現在も進行中なのである。

(つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 18

「日本人に話しかけ、

・・・これは

本人の意思を無視してはできないことです。」

と北朝鮮への連行(拉致)そのものは否定していないのでる。

横田めぐみさんの例などは

南(KCIA)によるでっち上げとし、

北朝鮮政府の拉致問題に

関する見解を踏襲している

にもかかわらずにである。

すなわち、裏づけが相当進み

、「事実無根」とは言い難い状況にあったに違いない。

さらに4行目後半~

「私たちはどこまでも日本の運命をともに

開拓していく仲間を得ようとしていたのであり・・・」

とあるが、

これこそが拉致の目的」

につながるキーワードである。

まさに「問うに落ちず、

語るに落ちた」である。(つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 17

「日本赤軍よど号グループ」

と国内支援者の間で発行されているミニコミがある。

タイトルは「お元気ですか」。

同紙を発行している団体を「かりの会」という。

代表者は小西隆裕であり、

連絡先は

「平壌市国際通信局私書箱八三」

となっている(平成13年当時)。

今手元に同紙89号(1997年6月1日発行⇒別掲)があるが、

その第4面に

「日本人拉致疑惑の真の狙いは何なのか?」

という記事がある。

右段1行目~7行目にご注目いただきたい。(つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 16

神戸に帰って間もなく

「朝日新聞」から

有本さん宅に電話取材が入る。

記者は恵子さんにまつわることを一通り質問した後で、

「(北朝鮮の)金子恵美子に直接取材する」と嘉代子さんに伝えた。

14日の同紙は「よど号メンバーの妻、

18日に帰国」という見出しで記事を掲載した。

その中で

、金子は「逮捕されるのは不当

。両親の墓参りがしたい」とした上で、

「欧州や日本に出入りはしていたが、

(金子以外の妻2人が札幌のIさんと一緒に写った写真があるのは)

たまたまです。

私たちは拉致には関係なく、

そういうことは、

していません」と否定。

よど号メンバーの国内支援組織

「かりの会」

の国内代表を果たしたい、

と帰国後の希望を述べている。

(よど号の妻おわり。以下つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 15

「捜査に関することは何も言えません、

と(警察が)おっしゃるので、

この機に何とかして下さい。

皆が元気なうちに、

せめて声だけでも聞きたいのです。

(警察のことを)信頼しているので

、問いただすべきことはキッチリと、

しっかり調べて下さい。と、お願いしてきました。」

と嘉代子さんは語った。

それに対して、

応対した警察庁側は

「まかせておいて下さい」

とだけ答え、

1時間ほどで陳情は終わったという。

陳情に同行していた報道関係者の1人は、

「金子はリーダー格らしいので、

(北朝鮮が)大丈夫と判断したからこその帰国に違いない」

と述べた。(つづく)

10月 13

また、

「北朝鮮はアジア開発銀行などの

国際金融機関からの融資を得るべく、

アメリカのテロ支援国家指定解除を目標として、

国際手配中の日本赤軍よど号グループを

国外へ出そうとしている・・・」

と一般的に云われているが、

救う会全国協議会・佐藤会長(当時)は、

「何らかの事情でどうしても帰国する必要性に駆られているのでは・・・」と

推測する。

あるいは真実を語り始めた

八尾恵氏に会うことがそれなのかもしれない。

逮捕されたとしても微罪で済み、

かつ重要な任務を遂行し得る者として、

金子恵美子ほど、

うってつけの人物はいないという。

金子の帰国を前にして、

有本夫妻をはじめとする「家族連絡会」の方々は、

9月10日(平成13年)警察庁を訪れ陳情した。

かねてより「妻たちが帰国したら、

何が何でも会って娘のことを訊きたい!」

と語っていた嘉代子さんに

当日の模様を伺った。(つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 12

八尾恵氏は昭和63年5月25日、

神奈川県警に

有印私文書偽造(本名を偽り家屋の賃貸契約を結んだ)容疑で

逮捕されるまで、

横須賀市内で「夢見波」というスナックを経営していた(詳細は「宿命」に記載)。

救う会全国協議会・佐藤勝巳会長(当時)は、

去る9月9日(平成13年)に行われた

「よど号妻たちへの拉致問題での徹底した取り調べを求める集会」

において、

「八尾恵氏の帰国(潜入)の目的は、在日米軍の動向を調査するためであり、

そのために横須賀市内でスナックを開いた。」

と明らかにした。

結局、

彼女に対するスパイ容疑は立証されなかったが、

彼女が現在、

自由を手にしているということは、

来たる9月18日(平成13年)に帰国するという

金子恵美子(よど号グループ赤木志郎の妻)に

少なからず影響を与えていることは間違いない。(つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 11

8月号(平成13年)の週間新潮に

「私はよど号犯(柴田)と強制結婚させられた」

と題する手記が掲載された。

これは柴田泰弘と北朝鮮で結婚、

2児を出産した後に帰国(潜入)して逮捕された

八尾恵氏の手記である。

その中で「このことが真実であると断言できるのは、

当時よど号グループの一員であった私自身が、

田宮高麿から指示・命令されて、

こうした拉致・誘拐作戦の一端を担ったことがあるからです」と

告白している。(つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 10

嘉代子さんは

市民柴田の第一印象を「頼りない感じの男で、

とても大事件の犯人には見えなかった。」

とも語った。

「恵子のことを知っているんでっしょ!」と嘉代子さんが詰め寄ると、

彼は「そんなオバサン知らん!」と即答した。

母は直感した。

「絶対知っている・・・」と。

「柴田が北朝鮮に居た頃は、娘はオバサンではないはず。

もしオバサンの恵子を見たならば、

それは最近のことでしかないはずです。」

そう話した後

、嘉代子さんは悔しそうに、

唇をかみ締めていた。

ヤサ男は「知らん、知らん」の一点張りで何も語らなかったという。

 

 なお、

柴田逮捕の直接の容疑は

、旅券法違反であり、

逮捕時、

彼が所持していたパスポートは、写真を張り替えただけの、

Iさんのものだった。(田宮高麿の死おわり。以下つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 8

以前にも触れたが、

よど号グループで一足も二足も早く帰国を果たした

柴田康弘は、

昭和45年4月のハイジャック事件(当時17歳)で平壌へ渡り、1

8年後の昭和63年(1988年)5月6日に

兵庫県警に逮捕され、

平成6年(1994年)7月21日に刑期を終えて出所し、

今は大阪で市民生活を謳歌している(当時)。

嘉代子さんは柴田に会うべく大阪を訪れた。

 柴田は市立須磨高校に在学中に事件を起こしたが、

なんと恵子さんも同校の卒業生だった。

因縁めいたものを感じずにはいられない。

彼は恵子さんの“とんでもない”先輩だったのである。

「とにかく大変な騒ぎでした。

この学校は優秀な進学校として有名だったのに、

一転して大変な不名誉で有名になったと、

学校関係者は今でも嘆いています。」と

嘉代子さんは語る。(つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 8
先日、有本さんのお宅へ伺いました
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snap-S先日、有本さんのお宅に行ってまいりました。

色々お話をうかがって

、改めて新政権には、

日本国として毅然とした姿勢で

拉致救出にあたっていただきたいと感じました。

有本さんご夫妻も新政権に期待されています。

政権が代わったことを契機に、

新政権には、これまでの日朝交渉についても、

しっかりと客観的史実に基づき

検証していただきたいと願います。

北朝鮮と向き合う際には、

現在政府が「拉致」と認定している

未帰国の全被害者を具体的にそれぞれ氏名をあげて、

直ちに返せ!

と強く強く迫っていただきたいと思います。

特に、

全くデタラメな資料に基づいて

「死亡した」とされている被害者の方々の奪還は、

焦眉の急です。

ブルーバッジ・サポーターの皆さん、

拉致問題はまさに正念場です。

「死んだ」とされる方々を「蘇らせる」ために、

さらに一層世論を盛り上げ、

政府の後押しをいたしましょう。

力強いご支援を重ねてお願い申し上げます!

10月 7

石高氏と共に再来していた高沢氏は、

最後に、

著書にも記していない極めて興味深いことを有本夫妻に告げた。

それは田宮高麿の死についてである。

彼は平成5年11月30日突然病死したと

北朝鮮が発表したが、

高沢氏はこの直前に田宮と会っていたそうである。

そして、

本人の口から「自分たちが連れてきた(拉致した)日本人については、

自分たちの手で日本に帰してあげたい・・・」と

衝撃的な告白を田宮から受けたのであった。

田宮は自分たちのパスポートが

無断で各種工作に用いられていることに対して

当局に不服を申し立てており、

それらの点を勘案すれば、

彼は処刑もしくは殺害された可能性が極めて高いという。

(つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 6
中川昭一先生のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
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先日、急逝されました中川昭一先生は

拉致問題に終始一貫、

取り組まれた代議士でした。

被害者家族からの信任も厚く、

また我々草の根支援者にとりましても大変頼りになるリーダーでした。

先生は当会の「日の丸ブルーリボン・バッジ」も着用して下さっていました。

先生のご遺志を受け継ぎ、

我々も拉致解決に向けて更に一層、

世論を喚起すべく尽力してまいりたいと存じます。

着用していただいておりました。

先生のご遺志を受け継ぎ微力ながら

尽力してまいりたいと存じます。

本日、中川先生を追悼する昼のテレビ番組に出演されていた拉致議連会長の平沼赳夫先生も、中川先生のご遺志を同士の方々とともにしっかりと受け継いでいかれる旨、発言されていたそうです。
我が国にとって、今、重要なことは、平沼先生をはじめとする指導者を中心として、心ある、良識ある人々が、自身の考えや思いを明確に意思表示することだと思います(黙っていることは、結果として現状を追認することでしかありません。それは、もはや罪といえるのではないでしょうか)。
ブルーリボン運動は、子どもから大人、お年寄りまで、どなたでも参加できる極めて簡単な意思表示の方法の一つです。今、救出、そして救国に向けて、我々日本人一人ひとりの良識が問われているのです。
中川先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

本日、

中川先生を追悼する昼のテレビ番組に出演されていた拉致議連会長の平沼赳夫先生も、

中川先生のご遺志を同士の方々とともにしっかりと受け継いでいかれる旨、

発言されていたそうです。

我が国にとって、

今、

重要なことは、

平沼先生をはじめとする指導者を中心として、

心ある、良識ある人々が、

自身の考えや思いを明確に意思表示することだと思います

(黙っていることは、結果として現状を追認することでしかありません。

それは、もはや罪といえるのではないでしょうか)。

ブルーリボン運動は、

子どもから大人、

お年寄りまで、

どなたでも参加できる極めて簡単な意思表示の方法の一つです。

今、救出、そして救国に向けて、

我々日本人一人ひとりの良識が問われているのです。

中川先生のご冥福を心からお祈り申し上げます。

10月 6

高沢氏は著書に、

札幌のIさんが

よど号の妻2人と公園(動物園)のベンチで撮ったスナップ写真を示して、

彼女たちが同時期、

頻繁にコペンハーゲンで

活動していた証拠を示している。

そのIさんと一時期であれ恵子さんが行動を共にしていたという事実、

現地公安当局がマークしていた工作員キム・ユーチョルと

恵子さんが一緒に写った写真が存在すること、

そして、

恵子さん本人が北朝鮮に居るということを合わせて考えれば、

日本赤軍よど号グループが

拉致誘拐の実行犯であることは自ずと導かれる結論であろう。

もちろん現段階(当時)では「疑い」の域を出ないが、

もしこれが国内であれば、

容疑者と推定するに十分な状況証拠と言えるのではないか。

(検証・最後の音信おわり。以下つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 5

その手紙は最後の音信となるが、

日付入りの最後の手紙は

同年(1983年)7月4日付けのものである。

この2通の手紙は同じ便箋で書かれており、

7月4日付けの方には以下のような記載がある。

「ロンドンを出てコペンハーゲンに来たものの、

観光シーズン真っ只中でユース等は一軒も空きがない。

そこで仕方なく高価なホテルに宿泊したが、

(滞在が長引きそうなので)アパートを借りて住んでいます。

ホコリ臭いところです・・・」と。

 嘉代子さんは

「本人がいう市場調査に関する仕事上、

誰かを待って1人でコペンハーゲンに留まっていたということは、

相当に信頼できる人物と出会っていたはずであり、

本人の語学力からしても、

それは日本人であろう。

そして、

本人の性格や素行からみても女性に違いない」と推測している。(つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 5

ここで

有本恵子さんのご両親の了解を得て

実際の手紙を画像にて公開します。

keiko_letter

クリックすると大きくなります。

10月 4

この事実について、

高沢氏は「アリバイ工作のために工作員から勧められて記したものであり、

季節の違う、

あるいはコペンハーゲンではない所で

作為的に記されたものである。

その証拠として、

同市の緯度は北海道より北に位置し、

10月は秋というよりは初冬であり、

肌寒い涼しさとはほど遠い。

また夏との比較で

観光客が「今は少し減ったようです」というのも、

曖昧な表現を試みたが故に、

実際のコペンハーゲンとは異質である。

さらに、

仕事に関する記述は脈絡がなく

、誰かに言われるがままに記した疑いを強くするものである。」

と分析している。

(つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 3

ブルーリボン・バッジをご着用の皆様へ

 

皆さんがお仕事やレジャーなどで外出された際、これまでに一体何人のブルーリボン・バッジ着用者を見かけられましたか?

 おそらく、残念ながら、限りなくゼロに近いのではないかと思います。

 テレビで見ればこそ、

政治家など政治意識の高い方々(政治家が政治意識が高いのは当然ですが・・・)が着用していますが、

社会全体では限りなく未だゼロに等しいといっても過言ではありません。

 拉致救出を訴えて家族会や全国の有志が十数年間かけて集めた署名の数が、

合計で約600~700万といわれています。

署名に応じられた方々は拉致救出を願う自身の思いを意思表示された訳ですが、

その尊い意思を継続して具体的に目に見える形で発信し続けるのが、

私たちの『ブルーリボン運動』なのです。

しかし、

この運動の広がりは未だほとんどゼロに等しいと云うことに他なりません。

一日も早く、

私たちブルーリボン・バッジ着用者が

マイナーな存在からメジャーな存在にならなければ、

救出も救国も、おそらく永久にかなうことはないでしょう。

 まずは、これまでにご署名いただいた方々に、今一歩、歩を進めていただき、ブルーリボン・バッジを着用いただくことではないでしょうか。

 ブルーリボン・バッジ着用者の皆さん、

「必ず生きている、きっと会える!」、

「拉致救出は国なおし」を合言葉に、

さらに更に、『ブルーリボン運動』を広げてまいりましょう!

 知人、友人へのご紹介、

また皆さんのホーム・ページやブログへのバナー表示・リンク支援を是非お願いいたします。

10月 3

実は1月(平成13年)に有本家にうかがった折、

高沢氏の著書

「宿命・よど号亡命者たちの秘密工作」

という本を拝借した。

その本には、

前に取り上げたIさんからの手紙に関して詳細に記述されており、

事件に対する洞察や推察が緻密な取材に基づいてなされていることが、

今回の聞き取りで実証されたと筆者は考えている。

その著書でも取り上げられているが、

恵子さん本人からの最後の音信は、

不思議な手紙であるという。

 恵子さんを幼い頃から可愛がり、

渡航にも理解を示していた明弘さんの妹さん(恵子さんの叔母)が

その手紙を見た瞬間、

「これおかしいんとちゃう?」と直感的に指摘されたそうである。

その手紙の右上にある「1983年10月頃」の記述は、

手紙を受領した後に嘉代子さんが書き加えたものであり、

もともとは日付の記載がなかったのである。

今回の聞き取りで、恵子さんが家族に送った多くの手紙を拝見したが、

日付がないものはそれ1通のみであった。(つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より

10月 3

読者の皆様へ

少しお休みしていましたが、準備が整ってきたので

再開させていただきます。

10月 1
全閣僚・全国会議員は、ブルーリボン・バッジの着用を!
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9月29日

総理大臣就任後

鳩山総理が初めて北朝鮮による拉致被害者家族会の皆さんと

面会されました。

私が目にした新聞によると、

総理は「拉致被害者の救出は本来、

家族の皆さんにしていただく活動ではない」

と述べられたとのことです。

また、

同紙によると、

有本嘉代子さんは

「今までの首相の中で一番、前向きな話ができた。

今後に期待したい」と話されたそうです。

 29日と30日の夜のテレビのニュースで、

私は、鳩山首相が、麻生前首相同様、

ブルーリボン・バッジをつけておられるところを拝見いたしました。

とても心強く感じました。

 国家の主権を侵害され、

国外で拉致され続けている罪なき同胞を救出するのに、

民主も自民も、

与党も野党も、

あるいは保守も革新も、

関係ないはずです。

本来なら日本人であることの一点において、

一致協力してしかるべきです。

 もし、

全閣僚・全国会議員が

前総理・現総理にならいブルーリボン・バッジをつけられたら、

我が国を取り巻く空気は

一挙に好転する

ものと私には思われますが、

HPをご覧の皆さんはいかがお考えでしょうか?