11月 30
田中実さん拉致事件と救出活動について(3)
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<田中実さん拉致事件の基礎知識>

(行政の認識)

・平成8年(1996年)12月12日、兵庫県議会警察常任委員会で

大前繁雄県議(当時)が、同月発売の「文藝春秋」を取り上げ、

「警察は何か情報を得ておられるのか?得ておられるのなら

お示しいただきたい。」と質問する。

・大橋警備部長(当時)は、「調査の結果、神戸市内に居住していた

同姓同名の人物が、昭和53年6月6日、成田から出国した後、

現在まで所在不明となっていることが判明している。

この人物が記事に云う当該田中実氏と同一である可能性は

否定できないと考えている。

県警としては、当該人物の行方について、拉致された可能性も含めて

慎重に調査しているところである。」と答えた。

11月 29
田中実さん拉致事件と救出活動について(2)
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<田中実さん拉致事件の基礎知識>

・平成8年(1996年)12月、平成9年1月号の「文藝春秋」に、

神戸市在住の在日・張龍雲(チャン・ヨンウン、故人)氏が、

自らが北朝鮮工作機関「洛東江」のメンバーであったことを告白して、

同組織の韓竜大(ハン・ヨンデ)と曹廷楽(チョ・ジョンガリ)が

共謀の上、昭和53年(1978年)6月6日、田中さんをウィーンに連れ出し、

モスクワを経由して平壌へ拉致したことを暴露した。

韓は田中さんが勤めていた「来大」の経営者だった。

・平成11年(1999年)には、「洛東江」の謀略を詳述した張氏の著書

「朝鮮総連工作員(黒い蛇の遺言状)」が小学館文庫から出版された。

張氏は平成13年(2001年)持病の悪化により他界。

11月 28
田中実さん拉致事件と救出活動について(1)
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◎これまで救う会・兵庫(代表:長瀬猛、副代表:大矢卓志)が携わってきた

北朝鮮による拉致被害者・田中実さんの救出活動について

何回かに分けて掲載します。

田中実さんのプロフィール

・昭和24年(1949年)7月28日生まれ、本籍神戸市東灘区

・幼い時に両親が離婚。

神戸市内の養護施設で育つ。

神戸市立高羽小学校、鷹匠中学校、神戸工業高校を卒業後、

市内のパン製造会社に就職するが退職。

失踪直前は阪神「青木」駅近くの中華料理店「来大」店員だった。

11月 27

連載「恵子、お母さんは待っていますよ!」が長らく中断してしまっており、

大変ご迷惑をおかけしております。

多くの方々から「続きはどうなっているのか!」とのお叱りを頂戴致しました。

心からお詫び申し上げます。

(単なる言い訳に過ぎませんが、

かなり古い資料を引っ張り出してきての連載で、

今のところ、

どうしても続きの連載記事が記載された号のミニコミが見つからないのです。

もう少しお時間を頂きたくお願い申し上げます。)

他方、

有本恵子さん同様、

政府認定の被害者である田中実さん拉致事件と田中さんの救出活動について、

ぜひ掲載させて頂きたい内容がありますので、

関係者(救う会・兵庫)の了解を得た上で連載させて頂きます。

何とぞよろしくお願い申し上げます。

11月 6

さて、将来この条約が発効したとして、自動的に、「軍事行動」が担保されるのかと言えば、「否」です。もし現状のまま事態が推移して、「軍事行動」を執ったならば、その時の総理大臣は、侵略を指揮したとして「人道に対する罪に相当すると規定」による訴追は免れないでしょう。 即ち、国際的共通認識を獲得しておくことが十分条件なのです。

近年、拉致被害者のご家族が世界各国へ出向いて、懸命なお訴えをしておられます。横田さんご一家が、ブッシュ前大統領と面会されたのも、国際連携という運動の一環でした。これはこれで効果があったことに異論はありません。しかし、軍事行動に必要な国際的共通認識を獲得したのかと言えば、補完的な効果しかなかったように思います。そして、その獲得が十分条件なら、補完されるべき「未着手の本筋」が必要条件となります。これこそが、拉致解決の為には、決して避けて通ることのできない「実行犯の検挙」なのです。

現在、我が国は拉致被害の規模を自ら明らかにすることなく、数多く潜伏している実行犯や協力者を一切検挙しておりません。わずかに北朝鮮に逃亡している実行犯を指名手配しているだけです。残念なことですが、実行犯や協力者の中に相当数の日本人がいます。そのことを知る報道機関も多いのですが、殆ど報じられていません。まさに闇の中の闇なのです。

この闇を放置したままでは、必要条件は永遠に満たされません。従って十分条件である国際的共通認識を獲得することも困難でしょう。「もし現状のまま事態が推移して、「軍事行動」を執ったならば、・・・」と先述した意味はここにあります。

私は、13年間の運動の中で、拉致実行犯と相対した経験があります。その人物は訴追されることなく今も一般人として生活しています。彼のような人物を国際法廷で証言させるならば、その効果は計りしれません。

私たちのこれからの運動は、この「未着手の本筋」を放置しつづける危険性を、実例を示して知らしめることではないでしょうか。いささか遅きに失しているとしても、後ずさりをしている暇はないのです。

11月 5

「拉致はテロだ」という主張は、
9.17以降「経済制裁」を求める運動の枕詞となり、
私たちは疑うことなく、
そう染められたのぼり旗を掲げて、街頭に立ちました。
しかし、本当にそれで良かったのでしょうか。

まず、このたび批准に至った「強制失踪条約」の中身を見てみましょう。
この条約は、2006年12月20日の第61回国連総会で採択された条約です。
正式名称は「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」と言います。
この2年前には、
蘇我ひとみさんがお嬢さんとの再会を果たしており、
国際的な関心が拉致問題に注がれていました。
この条約は、明らかに北朝鮮を主たる対象にしています。

条約の概要は、次のように翻訳されています。
「国家機関や国の許可を得た個人又は集団が逮捕・拘禁・拉致などで個人の自由をはく奪する行為を強制失踪として禁止し、組織的で広範な強制的失踪は、人道に対する罪に相当すると規定する禁止条約。」

ここで注目するべきは、
下線部「人道に対する罪に相当すると規定する」という部分です。
第5条には、次の様に明確な定義がなされています。
「強制失踪の広範又は組織的な実行は、適用可能な国際法に定める人道に対する犯罪を構成し、及び当該適用可能な国際法の定めるところにより結果を得る。」

それでは、「当該適用可能な国際法の定めるところにより結果を得る。」とは、どういうことを指すのでしょうか。
思いあたるのは、オランダ・ハーグに設置された国際刑事裁判所です。
ここでは現在、コソボ紛争で発生した、虐殺についての審理が進められています。

同紛争の一方当事者であるセルビアに対し、
国連安保理による非難を根拠としてNATOが軍事介入、
大規模な空爆が実施されたのは、皆さんのご記憶にも新しいことと思います。

即ち「当該適用可能な国際法の定めるところにより結果を得る。」とは、
軍事的制裁を含む処置を排除しないということであり、
我が国と北朝鮮との関係に置き換えれば、拉致という強制失踪に対して、軍事行動もあり得るということなのです。
翻って過去の私たちの主張で叫ばれた「テロ」とは一体何を意味していたのでしょうか。

難しい戦争の定義は専門家におまかせすることとして、一般にテロと称されるものの内、

国際的な拡がりをもつものに対しては、「戦争」に含まれるというのが一般的となりつつあります。
その典型が9.11テロとアフガニスタン攻撃です。

しかし、
私たちが訴えていた「テロ」という言葉には、
「戦争」という意味は薄く、むしろそのことを曖昧にして、国民世論の拒否反応から忌避しようとしていたのではないでしょうか。
そして、
米国の「テロ支援国指定」や「北朝鮮人権法制定」を受けて、
米国を中心とする西側諸国による国際的圧力により、展開を打開しようと企図していたはずです。
安倍政権発足当時、私はそのように信じておりました。
今思えば、誠に愚かしいことであり、誤った世論誘導に与した責任の一端は私にもあると猛省しております。
私たちは、何者にも臆することなく「拉致は戦争だ」と訴えるべきだったのです。

私たちが、禅問答がごとき意味不明な言葉遣いをしているうちに、あっさりと批准された「強制失踪条約」は、
このように大変重い意味をもっているということがお分かり頂けたでしょうか。
故に、筆を取らせて頂いた次第です。

11月 4

さる7月23日、

麻生政権は

国家による拉致の禁止などを定めた

「強制失踪(しっそう)からのすべての者の保護に関する国際条約」

(強制失踪条約)の批准書を

ニューヨークの国連本部に提出し、

締結手続きを終えた。

日本は12番目の締結国となった。

条約は拉致などを犯罪として処罰する内容で、

20か国の締結で発効する。

北朝鮮は締結していない。

この記事を目にしたときの「驚き」は、

私にとっては今年一番の出来事と言っても過言ではないほどのものでした。

今日は、

なぜ私がそれほどまでに驚愕したのかについて、

お話ししようと思います。

私たちは、

永らく「拉致はテロだ」と訴えて、

経済制裁に象徴される「国家意思の発動」を求めてきました。

この主張の論理について説明すると、

次の様に要約されます。

「我が国は、平成5年(1993)北朝鮮が核不拡散条約からの脱退と、

ノドンミサイル発射実験を相次いで強行したため、

翌年の国際原子力機関による北朝鮮制裁決議に基づき、

航空チャーター便の乗り入れ禁止などの

制裁処置を実施しました。

実際には被害の発生していない核とミサイルについては、

斯様に制裁を課しておきながら、

数多の被害者がいるにも関わらず、

拉致問題について、

何らの制裁を課す意思もないというのは如何なものか。」

我が国が「拉致はテロだ」という認識を、

内外に明らかにしたのは安倍政権になってからで

、平成14年(2002)9月17日の小泉首相の電撃訪朝と、

翌月に5人の被害者が羽田空港に降り立った、

あの劇的な場面を経てもなお、

政府は「拉致」を「テロ」だとは言いませんでした。

当時の福田官房長官が、

のらりくらりと「う~ん、ちょっと違うな」などと

はぐらかしていたのを、

鮮明に覚えています。

11月 4
拉致問題に関する定義
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連載から少しそれますが、
「恵子、お母さんは待っていますよ!」の作者の
長瀬たけし氏より
投稿をいただいておりますので、
今日から何回かに分けて
掲載いたします。