曹廷楽の告発に向けて
(張龍雲氏の置きみやげ)
・しかも、当該民事紛争は
結果的には曹に軍配が上がっているにも関わらずである。
・張氏の日記は、
我々が曹を告発するために大きな置きみやげとなったのである。
我々は準備に着手した。」



曹廷楽の告発に向けて
(張龍雲氏の置きみやげ)
・しかも、当該民事紛争は
結果的には曹に軍配が上がっているにも関わらずである。
・張氏の日記は、
我々が曹を告発するために大きな置きみやげとなったのである。
我々は準備に着手した。」
曹廷楽の告発に向けて
(張龍雲氏の置きみやげ)
・以下は情報提供にあたり秘匿を約束したため、
実名は差し控えるが、
その関係者は長瀬の申し入れを快く承諾くださり、
張氏が遺した膨大な量の日記を貸して頂いた。
・中には、
大乗寺事件や十文字山事件といった、
関西の在日社会で起こった経済事件(詐欺)に関する記述も多いが、
中でも特筆すべき資料を発見することができた。(つづく)
曹廷楽の告発に向けて
(張龍雲氏の置きみやげ)
・田中実さんに関わる原点は、
言うまでもなく張龍雲氏の告白であり、
その著書「朝鮮総連工作員」である。
しかし、刊行物に著された内容には、犯罪を立証するだけの証拠価値があるのか否か、
その疑念は当初から私たちの心を惑わせた。
・張氏の死去から2年近く経っていたが、
そういえば、
「分からないことがあれば、いつでも尋ねなさい」と言われて
受け取った名刺があったことを思い出し、
思い切って訪ねてみることにした。(つづく)
曹廷楽の告発に向けて
(張龍雲氏の置きみやげ)
・それは、平成9年(1997年)1月に山形県下で起こった、
張氏と曹の民事紛争に関わる告訴状の写しであった。
内容は、「洛東江」という組織名をあげて、
曹が非合法組織の幹部であり、その活動の一環として
資金集めを行ってというものであった。
・ということは、平成8年から9年にかけて、
月刊誌や単行本による表現と、利害の対立する法廷における一方的な表現により、
著しく名誉を傷つけられている訳で、
当然のことながら、その対抗処置として、
名誉毀損等の告訴を行ってしかるべきところを、
何もやっていないのである。(つづく)
韓竜大の告発(つづき)
・田中実さんが姿を消した後、
オーストリアからの国際郵便が金田さんへ届けられた。
差出人は田中さん。
内容は「オーストリアは良い所だから、
君もこっちへ来ないか」という誘いだった。
金田さんは筆跡に疑いを持ち、
この証言者にそれを打ち明けていた。
しかし、
この誘いを受け入れてしまった金田さんは、
渡欧準備のために上京することになり、
何とあの中華料理店「来大」で送別会が開かれたそうである。
・上京した金田さんは音信不通となり、
約半年後に証言者の近親が「来大」の韓を詰問したが、
韓は「知らない、
分からない」といった要領を得ない返事に終始した。
・以上の内容を、
国外移送目的略取等(刑法226条)を罪名および罰条とする、
告発状に添付して、平成14年(2002年)10月4日、
兵庫県警に提出した。受理は奇しくも10月15日、
拉致被害者5名が帰国した日であった。
韓竜大の告発へ(つづき)
・田中実さんが育った施設関係者の証言、
張龍雲氏が「拉致工作」を告白した横田さん夫妻へ宛てた手紙、
そして渡辺先生の証言、
しかし、
事件性をうかがわせるものがなく、
途方にくれたが、
同郷の岡田氏が執拗な調査を続けて、
ついに決定的な証言を得た。それは、
田中実さんと同じ施設で育った後輩の金田竜光さんを、
一時期雇っていた雇用主の関係者によるものであった。
証言者と金田さん、
および周辺関係者は、
田中実さんの働いていた中華料理店「来大」へ頻繁に出入りしており、
金田さんは金ちゃんと呼ばれ親しまれていた。(つづく)
韓竜大の告発へ
・小泉首相の訪朝後の11月、
日朝国交正常化実務者会議が開かれ、
日本側が複数の拉致被害者を照会した。
何かの集会に参加していた平沢勝栄衆議にお会いした折、
田中実さんはどうなったのですか?
とお尋ねしたところ、
そのリストの最前列で照会してあるとのことであった。
しかし、
拉致認定される様子は全く感じられなかった。
・この機に及んで未だ消極的な国に対して、
もっと強力に訴えられるものはないか、
策をめぐらしてたどり着いたのが「告発」であった。
・「相手を訴える法律知識(自由国民社)」を参考にして書面を整えるという、
誠に稚拙な行為ではあったが、
可能な限りの証拠集めに奔走することになった。(つづく)