10月 25
寺越文雄さんのご逝去に際して
icon1 ooya | icon2 拉致問題の真相ードキュメント | icon4 10 25th, 2010| icon3コメントは受け付けていません。

*寺越文雄さんのご逝去に際して

去る10月8日、外雄さんら拉致の真相究明を目指して

長年闘ってこられました寺越文雄さんが膵臓がんのため

お亡くなりになりました。

心よりご冥福をお祈り申し上げます。

文雄さんのご逝去を受け

救う会・兵庫とご家族から

それぞれ以下のメッセージが公表されています。

是非ご一読ください。

寺越事件、そして全ての拉致事件の一刻も早い解決を

改めて心からお祈り申し上げます。

『寺越文雄さんのご逝去に際して(救う会兵庫 代表・長瀬猛 平成22年10月11日)』

10月8日(金)夕刻、寺越文雄さんは天国に旅立たれました。

弟外雄さんを思い、「どんなに帰りたかっただろうか」と

病床で涙を流された御姿が、今も胸を離れません。

外雄さんのご家族の日本国籍を確認する作業も緒に就いたばかりで、

「さあ、これからが五合目やなあ」と

登山に例えて自らを奮い立たせておられた文雄さんには、

頂上までご一緒するはずが、約束を果たすことが出来ず、

誠に申し訳ない思いで一杯です。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

文雄さんは予てから、「この運動は一代限り」と明言しておられました。

家族思いの文雄さんらしい考えですが、翻って考えれば

「頂上までは救う会が登って欲しい」と後を託されたという意味でもあり、

私たちにとって大変思いものがあります。

現在、寺越外雄さんは、死亡認定が取り消され、

法律上は石川県羽昨郡志賀町に生存していることになっています。

国の指導に基づき、外雄さんの死亡届を提出しましたが、

資料の客観性が乏しいとして、更なる証拠の提出を求められているのが現状です。

幸いこちらには、文雄さんから託された全ての書簡の写しがあり、

外雄さんのご家族と文雄さんのご遺族が、

手紙を通じて意思の疎通を図ることが可能です。

限られた手だてではありますが、最大限に活用して頂上を目指す所存です。

寺越事件を振り返ってみて、最も罪深いと思えることは、

昭和61年12月に生存を伝える手紙が届いた時点で、

何故外務省が全面的に支援して帰国交渉に当たらなかったのかということです。

結果的に社会党の国会議員であった嶋崎譲氏が特命大使のように振る舞い、

その後の寺越家を大きく惑わすことになりました。

文雄さんが語ったお話しの中に、以下のようなものがあります。

第3回目の寺越友枝さんの訪朝は、嶋崎氏を介さずに実施されましたが、

彼女の帰国を受けて彼は「よく帰ってこられたな」と、

寺越家の人々を前にして語ったそうです。

文雄さんは「恐ろしい」と感じたと、当時を振り返っておられました。

寺越事件の真相を明らかにして、亡き文雄さんの思いを結実させるということは、

日朝関係の闇を白日の下に晒すとことでもあり、極めて重要な意味があると思います。

私たち救う会兵庫は、文雄さんの遺言動画をお預かりしています。

ご家族と相談の上、近日中に公開させて頂きます。

これは、私たちが文雄さんのご遺志をしっかりと引き継ぐ闘いの、

第二幕の幕開けを意味するものであり、

絶対に一歩たりとも退かないという決意表明の場と致す所存でございます。

最後に改めまして、文雄さんのご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。

『家族からのメッセージ(寺越惠子 平成22年10月11日)』

10月8日金曜日の夜、私たちの手の届かないところへ旅立った寺越文雄について、

家族を代表して、ご挨拶申し上げます。

ただ今、告別式を終え、亡き夫の御霊は今まさに天に帰ろうとしています。

多くの人に見送られ、優しいお言葉をたくさん頂戴し、

子や孫に見守られた彼は、とても幸せだったと思います。

まずは、ご心配して頂き、慰めの御心を頂戴したたくさんの皆さまに、

感謝申し上げたいと思います。本当に有難うございました。

夫が唯一やり残したこと、それが

弟である拉致被害者の故・寺越外雄が、北朝鮮に残した妻や子、

そして孫の将来について、

安全を確保して帰国のための目途をつけるということでした。

色々な事情があって、外雄は拉致認定して頂けないので、

まずは彼の親族が持っている日本国籍を確認するという作業を進めている最中でした。

亡き夫は外雄の家族を支援するこれらの活動に携わりつつも、この運動は一代限り、

子どもたちへ引き継がせる訳にはいかないと、はっきり申しておりました。

しかし、私が一人で彼の遺志を引き継ぐのは、明らかに力不足です。

北朝鮮で暮らす外雄の家族とは、今も手紙のやりとりが続いています。

しかし、夫が亡くなったことと、これからのことを、

どのように伝えればよいのか、途方に暮れているというのが、今の偽りなき心境です。

外雄の家族を助けるために東奔した夫を亡くして、

あらためて拉致事件の残酷さを思い知らされています。

多くの拉致被害者のご家族が、同じような思いをなさっておられると想像しただけでも、

計り知れない深刻な問題だと思わずにはいられません。

今後は、救う会の方々とよく相談して、私ができる範囲ではありますが、

夫のやり残したことの続きをできないか、答えを出してまいろうと考えております。

今までのようにはいかず、ご心配をおかけすることも多いとは存じますが、

これまでと変わりなく、ご理解とご支援を賜りますようお願い申し上げます。

また、この度の葬儀に際しては、お蔭様で穏やかに夫を送ることができました。

ご配慮を頂きました報道関係各社様に御礼申し上げます。有難うございました。

10月 2

弁護士法第1条第1項「弁護士は基本的人権を擁護し、

社会正義を実現することを使命とする。」、

第2条「弁護士は、常に、深い教養の保持と高い品格の陶冶に努め、

法令及び法律事務に精通しなければならない。」

以上は弁護士法の冒頭であるが、

およそ程遠い現実がご両親に突きつけられたのである。

嘉代子さんは、

「今でも私たちの何が最低なのか。きちんと説明してもらいたい」

と憤りを隠さない。

何よりも、

この「申し立て」が何故留保されたのかを聞く権利が、ご両親にはあるのである。

それとも、

擁護すべき基本的人権には、

助けるべき人権と不要な人権の2種類があり、

弁護士にそれを裁量する権利が委ねられているとでも言うのであろうか。

平成5年春、

有本恵子さんとご両親の人権は不要なものとして選別されたのである。(おわり)

*以上をもちまして、

『恵子、お母さんは待っていますよ!(「グローカルひょうご」より転載)』は

終了させていただきます。

10月 1

柳川弁護士の態度に、

ご両親は大変困惑した。

「もしかしたら私たちの行為が、

知らないところで誰かに

大変な迷惑をかけているかもしれない」と思い、

暗澹たる気分になったと嘉代子さんは言う。

当時は未だ「家族会」も「救う会」も存在しておらず、

事の次第を相談すべき人も分からず、

いたずらに時間の経過を許す他なかった。

日弁連からは、その後なんの音沙汰もなくなってしまった。

「・・・期待しない様に」と言っておきながら、

その結果さえ知らされなかったのである。(つづく)