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	<title>日本ブルーリボンの会</title>
	<link>http://www.nippon-blueribbon.org</link>
	<description>ブルーリボンについて　世界中の人権を抑圧された人たちを速やかに開放することを目的とし、その純粋無垢な願いをこの深いブルーに込めています。</description>
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		<title>どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信⑨最終章</title>
		<description>■小沢一郎氏への根本的疑義■

以上、私の経験を中心に、金丸外交における政治家と外務省の

拉致隠蔽工作とそれに加担したマスコミについて告発してきました。

なぜ、十数年以上前のことを取り上げるのかと考える方もいらっしゃると

思います。

私がこのことを言い続ける意図はただ一つです。当時拉致を

隠蔽しようとした勢力が、今に至るまでもきちんとした反省をせずに、

政界やマスコミなどに残っています。その勢力が、拉致問題解決への

取り組みを背後から妨害しているのではないか、と強く危惧しているからです。

特に、民主党代表の小沢一郎氏（当時）は、自身が自民党幹事長としてかかわった

金丸外交について反省、清算していません。

その後も拉致問題解決のために積極的に動いたこともありません。先（平成19年）の

参院選でも拉致問題は一切取り上げられませんでした。私たち家族を裏切った

石井一氏のような候補を擁立しました。それでは政権を担う資格を

疑われると敢えて言いたいです。（周知の通り今は民主党が政権を担っています！）

拉致被害者は恵子だけではありません。全員救い出さなければなりません。

今現在、政府認定を受けていない被害者も全員救い出さなければなりません。

安倍政権は私が恵子たち拉致被害者の救出に取り組んできた約20年間では、

はじめて国政の最優先課題として拉致問題をすえた政権でした。その政権に

対して、過去に拉致を隠蔽しようとして動いてきた政治家やマスコミの一部が

また攻撃をしかけ、結局、安倍首相は退陣してしまいました。今後そのようなことが

起きないように、過去に彼らがどのような売国外交、売国報道をしてきたのかを

きちんと検証するしかないと痛感しています。この手記がその一助となれば幸いです。（おわり） </description>
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			</item>
	<item>
		<title>どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信⑧-2</title>
		<description>■無視された手作りビラ■

家族会結成の３年前、ただ一人の支援者もいない中、家族として初めて実名を出して
訴えたのがこのビラです。
このビラを500枚つくりまして、周囲の人たちに配るとともに、マスコミにも送りました。
マスコミへの送付に当たっては、別途次のような手紙をつけました。
「前略　1991年石岡、有本両家族が東京にて記者会見の席を設けて戴き、娘達の事を
お話しする予定のところ、突然何も話さないようにとの要請があり、
お見えになった記者の方には御不満もあったと思いますが、
その時点ではくわしい事は申し上げられませんでした。（略）
北朝鮮に謝罪と償いを明確にした以上、我が国も懸案を先方に明示するのが
国際外交の鉄則と思います。私共の日本政府に対する救済の実現には
マスコミ各社の御支援が無くては出来ないと思って居ります。
私共の声を日本政府及び総理に伝えて戴きたく伏してお願い致します」
90年から91年にかけて取材にきた記者の名刺の住所などにおくり、
警察庁記者クラブに配ってもらいましたが、反応がありませんでした。
そこで、94年12月に配達証明付きで次の社に送りました。
ＮＨＫ、日本テレビ、ＴＢＳ、フジテレビ、テレビ朝日、共同通信、時事、
朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、産経新聞、日本経済新聞、神戸新聞、週刊文春、週刊新潮
今もその配達証明の書類を持っていますが、こうまでしても
マスコミは拉致問題を無視し続けました。先に引用しましたマスコミ宛て手紙の中の
「北朝鮮に謝罪と償いを明確にした以上、我が国も懸案を先方に明示するのが
国際外交の鉄則と思います」という主張は、今から考えても正しいものだったし、
現在（当時）の我が国政府の立場と完全に一致していると自負しているのですが、
正論が無視されるおかしな状況がマスコミにあったのです。
テレビ・新聞は1997年横田めぐみさんの拉致が明るみになり、家族会が結成されるまで、
拉致問題をまともに取り上げませんでした。
私が実名でそれこそ命がけで訴えた声は、マスコミによって握りつぶされ
国民には伝わりませんでした。
金丸外交は同氏の逮捕で形式上は終わりましたが、その後も、
1995年には野中広務議員、加藤紘一議員らによって拉致を棚上げにしたままの
対北朝鮮米支援が実行されるなど、拉致隠蔽は続き、
それをマスコミは批判せず加担し続けたのです。

（つづく）

＊「正論」平成19年11月号より（加筆・修正のうえ転載） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/script/entry1483.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信⑧-1</title>
		<description>■無視された手作りビラ■

手記掲載作業と並行して、1991年の記者会見をアレンジしてくれたＮＨＫの記者に連絡して、

「新しい事実が週間誌に公開されたから再度記者会見をお願いしたい」と依頼しました。

すると記者は「一度公表されたことはニュース性がないので協力できない」と返事をしました。

そのさい、記者は私たちが自前で会見を開く方法を教えてくれました。

家族会結成後の記者会見は、支援団体の救う会などが全部設定しており、記者に頼むことは

ありません。しかし、当時は事情を説明してくれる人も支援者もいませんから、

前回してくれたことをなぜできないのかと強いショックを受けました。

特にＮＨＫ記者がＥ氏を紹介したため前回の会見がぶちこわしになったのだから、

その責任を取る上で２度目の会見を手伝ってくれてもおかしくないはずなのに

との気持ちがありました。

自分たちで会見を開くことは到底無理だと考え、

前掲の週刊文春1994年３月31日号記事と91年１月の新聞記事をコピーし、

欄外に次のような私の訴えと住所名前を記した手作りのビラをつくりました。

「欧州で行方不明になった日本人大学生３名失踪事件

右記事件の真相解明と行方不明者の消息確認を国民世論を以て

総理に

請願するものです。

国交正常化交渉時の正式議題に組み入れて戴きたく

日本政府に請願いたしますにはマスコミ各社の協力がなくては、出来ません。

国民の皆様におかれましては右記の旨

御推察の上　積極的な御支援をお願い致します。

神戸市長田区XXX○丁目○○

有本明弘」

親として渾身の力を込めて記した必死の訴えです。読み返してみると、

今でも涙がこみ上げてきます。

（つづく）

＊「正論」平成19年11月号より（加筆・修正のうえ転載） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/script/entry1481.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信⑦</title>
		<description>■手記の実名公表とマスコミの黙殺■

先に書いたように1993年に私たちはコペンハーゲンで撮られた恵子の写真を

見せられ確認しました。しかし、警察に口止めされていたので、一部の記者に

非公式に伝えただけで公開しませんでした。その結果、恵子たちの拉致に関する

報道はまったくありませんでした。

1994年３月に週間文春が決定的な報道をしました。３月31日号の

「日本人留学生失踪事件　平壌に連行したのは『よど号』の妻たちだった」という記事です。

そこでは恵子を拉致したのはキム・ユーチュルという北朝鮮工作員であること、

またキムと連携してよど号ハイジャック犯の妻らがヨーロッパ各地を暗躍し、

石岡さん、松木さんを拉致したのも彼女らだという衝撃的な記事で、そこには

コペンハーゲンで撮られたと思われる恵子の顔写真と、石岡さんと一緒に

スペインの動物園で撮影された２人のよど号妻の写真が掲載されていました。

写真という決定的証拠をふまえたスクープでした。

しかし、このような決定的証拠が報じられたのに、テレビや新聞は無視し、

拉致問題は相変わらず取り上げられませんでした。このままでは恵子たちは見殺しに

されてしまうと考えて、私は実名を出して訴える決意をしました。

週間文春1994年５月26日号で「石井自治大臣よ　北朝鮮に連れ去られたわが娘を返せ！」

と題する手記を有本明弘の実名で掲載しました。手記の中で恵子の名前も初めて

公表しました。この内容は、先に書いた金丸訪朝先遣隊としての石井議員とのやりとりを

記したものです。

私は当時の石井議員とのやりとりに関して警察以外には一切話していませんでした。

ところが、週間文春記者がそれを正確に知っていて手記の下書きを書いてきたので

驚きました。誰かがいま（当時）石井議員が治安の責任者である自治大臣・国家公安委員長に

就任したことに対してこの情報をぶつけようとしているのだなと感じ、手記を出すことに

同意したいきさつがあります。この手記にもテレビや新聞などから反応はありませんでした。

（つづく）

＊「正論」平成19年11月号より（加筆・修正のうえ転載） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/script/entry1479.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信⑥</title>
		<description>■ぶちこわしとなった記者会見■

記事が出てから石岡さん、松木さんの家族と連絡を取って91年１月16日、

３家族名で外務省に嘆願書を提出しました。その後、幹事社だったＮＨＫが

アレンジをしてくれて学士会館で記者会見を開く予定でした。ところが、

会見前にＮＨＫ記者から「家族に会いたがっている人がいるが、会ってみては

どうか」と紹介され、北朝鮮関連の書籍などを出版している左翼系書店経営者の

Ｅ氏に面会しました。Ｅ氏は次のように語りました。

「私たちは金丸氏の訪朝のため１年有半いろいろ努力してきました。今ここで、

警察からこんな話が出てきては、なにもかもぶちこわしになってしまいます。

記者会見では住所氏名は言わないようにして下さい。その代わり、私たちには

金正日の主治医に通じるルートがあります。１、２ヶ月待って下されば、

必ず良い返事を持ってきます」

結果的にはだまされたのですが、そのとき私は、金丸外交を進める立場の人が

恵子らを秘密裏に助けるというのだから可能性はあると一抹の希望を胸に抱き、

この提案に同意してしまいました。そのくらい私たちはすがる思いだったのです。

その結果、記者会見で私たちは、匿名を貫き質問にも一切応じませんでした。

集まった記者からはなぜ、匿名にするのか。記者会見に臨んでいながら、なぜ

全く質問に答えないのか、それはおかしいではないかと散々な非難に晒されました。

多くのマスコミが記事にすることはありませんでした。

その後、Ｅ氏とは１年半程度、つきあいましたが、結局、何も進展しませんでした。

Ｅ氏は最後にパイプになっていた人物が死んだと言い残して連絡が途絶えました。

ただし、Ｅ氏は個人で動いていたとは思えません。上記したように、1991年５月、

第３回日朝交渉で田口さんのことだけが取り上げられたとき、外務省に抗議に

行きました。すると、その直後にＥ氏が私の自宅に電話をかけてきて

「（恵子さんたちを救出する）あの話はまだ生きていますから、静かにしていて下さい」

と要請し、わざわざ神戸までやってきて私たちを説得したからです。

Ｅ氏がなぜ、私が外務省に抗議したことを知っていたのでしょうか。拉致を隠蔽する

金丸外交を進めようとしていた外務省内の勢力がＥ氏と連携して動いていたのではないか、

と強く疑っています。

このようなおかしな動きをしていたＥ氏を私たちに紹介したＮＨＫ記者は、ご自身の

意図がどこにあったのかはともかく結果として拉致隠蔽工作を助けたと言われても

しかたないと私は考えています。

（つづく）

＊「正論」平成19年11月号より（加筆・修正のうえ転載） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/script/entry1477.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信⑤</title>
		<description>■命がけだった「取材協力」■

1988年当時、マスコミは拉致問題を報じる姿勢がありませんでした。

先に書いたように同年３月に、梶山国家公安委員長が国会で蓮池さんら

３組６人のアベックらについて「北朝鮮による拉致」という言葉を使って

答弁したにもかかわらず、朝日、読売、毎日は一行も書かず、産経と日経が

ごく小さな記事を載せただけです。テレビ報道も大同小異だったようです。

ですから、拉致家族の私でさえ、梶山氏の答弁を知ったのは1994年のこと

だったのです。

私たちも先に書いたように、外務省の提案を受け入れて、マスコミへの

接触をひかえていました。

ところが、金丸訪朝の数ヶ月後の1990年12月、週間文春の記者が自宅を

訪れて、恵子たちの拉致について記事にしたいというのです。つづいて、

新聞やテレビ何社かの電話取材などもありました。話を聞くと、手紙のコピーを

含めてかなりの情報がすでに多くの社に漏れていることがわかりました。

取材を受けるかどうかで私たちは悩みました。恵子のことを明るみに出して、

救い出したい。しかし、外務省との約束もあり、事件が報道されると恵子たちの

身に危険が及ぶのではないか。家内は恵子の身の安全を案じて取材に協力することに

反対しました。私も悩みました。しかし、覚悟を決めて結論を出しました。

それは「日朝国交交渉がまとまれば過去を償う巨額の資金が北朝鮮に渡されるが、

政治家も外務省もこのままでは恵子たちの救出を取り上げようとしない。

これではカネだけ取られて拉致は棚上げにされてしまう。手紙が来ているという

事実を公開して訴えるしかない」と取材協力することにしたのでした。

1991年１月、毎日新聞と産経新聞などに大きく記事が出ました。また、週間文春は

何週間か連続して報じ続けました。ヨーロッパで失踪した３人の男女が北朝鮮で

暮らしているという手紙が実家に届いたという内容で、匿名扱いされました。

私たち家族は秘密を守っていたのに、なぜこのタイミングで情報が、マスコミに

漏れたのでしょうか。断定はできませんが、複数の記者らは外務省と警察から

情報を得てきたと話しました。拉致を隠蔽する金丸外交に危機感を持った

警察関係者の意図が働いていたのではないかと当時私は推測しました。
（つづく）
＊「正論」平成19年11月号より（加筆・修正のうえ転載) </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/script/entry1471.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信④-2</title>
		<description>■取り合ってくれぬ日々■

1993年５月、兵庫県警の捜査員が私の自宅を訪れ、１枚の写真を見せてくれました。

そこには恵子と見知らぬ中年の男性の２人がベンチで座って写っていました。

そのとき捜査員は次のように説明しました。

「このとき娘さんは朝鮮名のパスポートを使っていました。

男は北朝鮮工作員、キム・ユーチュル。これが（北朝鮮に送られた）確かな証拠です」

のちに、この写真は恵子が失踪した1983年７月、デンマークのコペンハーゲン空港で

西側の情報機関によって撮られたものだとわかります。

警察がこの写真をいつ入手したのかは、いまだ明らかにされていません。

しかし、私は手紙が届いた1988年９月の段階ですでに入手されていたと考えています。

なぜなら、1988年手紙が来た直後に長田署に連絡するとすぐ、行方不明になる前の写真の

提供を求められたからです。

恵子が失踪した直後の1983年に何回か地元の長田署に捜査をお願いしたときには

写真の提供は求められなかったのですから、あのとき警察がコペンハーゲンの写真を

入手しており確認作業をしようとしたのではないかと思うのです。恵子の事件は

たんなる海外での失踪事件ではなくなり、北朝鮮による拉致事件として警察が重点的に

情報収集をしていたのでしょう。

この推測が正しければ、政府は金丸訪朝の時に恵子たちが北朝鮮に拉致されたという

証拠を握っていたことになります。それなのに、事件を隠蔽したまま金丸外交は

進められたのです。手紙を持ち込んだ私たちに外務省が秘密にしておくように提案したのも、

拉致を知っていながらも隠蔽してしまおうという金丸外交の方針に従ったものだった

とも思えるのです。

（つづく）

＊「正論」平成19年11月号より（加筆・修正のうえ転載） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/script/entry1470.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信④-1</title>
		<description>■取り合ってくれぬ日々■

金丸訪朝の結果、1991年から92年まで日朝国交交渉が７回にわたって

続けられました。私たちはそれに期待をかけ、91年１月に石岡さん家族とともに

上京して外務省に恵子たち３人を救出して欲しいとの「嘆願書」を提出しました。

しかし、外務省は恵子たちの問題を正式議題として一度も取り上げてくれませんでした。

せめて、安否だけでも知りたいという家族の切実な願いすら裏切られました。

それどころか、７回の交渉の中で、すでに1988年に国会で梶山答弁があった

蓮池さんら３組６人のアベックの件についても一度も言及しなかったのです。

ただ、1991年５月第３回日朝交渉でその直前に警察が身元を特定した「李恩恵」と

呼ばれていた田口八重子さんについてのみ、調査を依頼しました。それに対して

北朝鮮はでっちあげだと非難して直ちに退席してしまいます。それに恐れたのか、

外務省は第４回交渉から本会談の席で田口さんの問題を持ち出すことさえも

やめたのです。

私は、第３回交渉で田口さんの問題が取り上げられたとき、すぐ外務省に出向いて

「李恩恵の件だけでなく、平壌から手紙が来ている３人も含め、全員の解放を

要求すべきだ。なぜ、放っておくのか」と激しく抗議しましたが、

とりあってもらえませんでした。

この間、私たちが外務省に陳情に行っても、部屋にも入れてもらえず、

末端の担当事務官が玄関のソファーなどで話を聞くだけでした。このことからも

外務省は国民の命と安全をどう考えているのかがわかります。後日家族会が結成された後でも、

アジア局長が自民党の会合でたった十数人のことで日朝交渉が妨げられてはならないなどと

発言されました。許せない暴言ですが、こうした感覚が金丸外交後も外務省の中には

まかり通っていたんでしょう。

（つづく）

＊「正論」平成19年11月号より（加筆・修正のうえ転載） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/script/entry1468.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信③-2</title>
		<description>■「あんな手紙では北朝鮮に言えない・・・」裏切られた金丸訪朝■
先遣隊が訪朝した直後、すぐに上京して石井先生に会いました。もちろん
期待の気持ちでいっぱいでした。ところが石井先生は「あんな手紙ぐらいでは、
北朝鮮には言えないので」と、開口一番おっしゃいました。
私はわが耳を疑いました。それで思わず「え？」と聞き返すと
「まあ、だから北朝鮮には言っていない」と言われました。
全身から血の気が抜ける思いでした。目の前が真っ暗になりました。
ちょうど2002年９月に当時の福田康夫官房長官から恵子が「亡くなっています」
と通告されたときと同じでした。
石井先生は後日、「あんな手紙ぐらいでは」と言ったのは北朝鮮の人間で、
この件はきちんと北朝鮮側に伝えた、などと私どもがはじめに耳にした説明とは
全く異なる発言をされています。
しかし、1990年９月に大々的に報じられた金丸訪朝でも、その直後の
小沢一郎自民党幹事長らの訪朝でも恵子たちの問題をはじめとする拉致問題は
まったく取り上げられませんでした。
当時、金丸訪朝は、日朝国交への扉を開いたなどと評価されていましたが、
実際は、拉致問題の解決なしの日朝国交正常化を目指すという、
許し難い外交を行ったのです。
現在（平成19年11月当時）、民主党代表である小沢氏は、
自身が自民党幹事長としてかかわった金丸外交について
反省の弁をいまだに述べていません。
それでは政権を担うかもしれない第１野党党首の資格を疑われる。
私はあえてそう言いたいのです（政権が交代したことはご周知の通り）。
（つづく）
＊「正論」平成19年11月号より（加筆・修正のうえ転載））
■「あんな手紙では北朝鮮に言えない・・・」裏切られた金丸訪朝■

先遣隊が訪朝した直後、すぐに上京して石井先生に会いました。もちろん

期待の気持ちでいっぱいでした。ところが石井先生は「あんな手紙ぐらいでは、

北朝鮮には言えないので」と、開口一番おっしゃいました。

私はわが耳を疑いました。それで思わず「え？」と聞き返すと

「まあ、だから北朝鮮には言っていない」と言われました。

全身から血の気が抜ける思いでした。目の前が真っ暗になりました。

ちょうど2002年９月に当時の福田康夫官房長官から恵子が「亡くなっています」

と通告されたときと同じでした。

石井先生は後日、「あんな手紙ぐらいでは」と言ったのは北朝鮮の人間で、

この件はきちんと北朝鮮側に伝えた、などと私どもがはじめに耳にした説明とは

全く異なる発言をされています。

しかし、1990年９月に大々的に報じられた金丸訪朝でも、その直後の

小沢一郎自民党幹事長らの訪朝でも恵子たちの問題をはじめとする拉致問題は

まったく取り上げられませんでした。

当時、金丸訪朝は、日朝国交への扉を開いたなどと評価されていましたが、

実際は、拉致問題の解決なしの日朝国交正常化を目指すという、

許し難い外交を行ったのです。

現在（平成19年11月当時）、民主党代表である小沢氏は、

自身が自民党幹事長としてかかわった金丸外交について

反省の弁をいまだに述べていません。

それでは政権を担うかもしれない第１野党党首の資格を疑われる。

私はあえてそう言いたいのです（政権が交代したことはご周知の通り）。

（つづく）

＊「正論」平成19年11月号より（加筆・修正のうえ転載） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1465.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信③-1</title>
		<description>■「あんな手紙では北朝鮮に言えない・・・」裏切られた金丸訪朝■

1990年になると、金丸信・自民党副総裁が中心になって自社訪朝団が

派遣されるという話が大きく報じられました。しかし、そのときは

北朝鮮に抑留されていた第18富士山丸の乗組員の釈放問題などが話題となるだけで、

拉致問題はほとんど触れられず、もちろん恵子たちのことはまったく出ませんでした。

手紙のコピーを外務省に提出してあるのだから、政府と政治家は秘密裏に

恵子たちの救出にも取り組んでくださるはずだと信じつつも、居ても立っても

いられなくなって1990年春、最後の陳情のつもりで上京しました。

先遣隊として北朝鮮に行くことになった地元出身の石井一議員にお会いして

手紙のコピーを渡しました。そして「この手紙は娘が北朝鮮にいることを

証明する手紙です。なんとか金丸先生にお会いできないでしょうか。

また、先生は（先遣隊として）北朝鮮に行かれるそうですが、（この件を）

北朝鮮政府に訊いて頂けないでしょうか。家族は皆、心配しております。

どうか宜しくお願いします」と頼みました。

私たちの願いを耳にした石井先生は「私が責任を持ってこのコピーを

金丸先生に渡します。またこの問題は、私自身としても強く北朝鮮に対して

訴えますから、安心して下さい」と力強く話されました

（つづく）

＊「正論」平成19年11月号より（加筆・修正のうえ転載） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/script/entry1463.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信②</title>
		<description>＊拉致の証拠が次々出てきた　1988年

先に書いたように、1988年になり多くの日本人が

北朝鮮に拉致されて帰れないでいるということを

証明する証拠、証言などが多数出てきました。

大韓航空機爆破事件の容疑者、金賢姫が

この年２月に記者会見をして、「李恩恵」と呼ばれる

拉致された日本人女性と20ヶ月同居し

日本語や日本の習慣などを教わったと告白しました。

それを受けて、３月参議院予算委員会で、

梶山静六国家公安委員長が、「李恩恵」だけでなく

蓮池さん夫妻、地村さん夫妻、市川修一・増元るみ子さんら

３組のアベックと原ただあきさんについて

「北朝鮮による拉致が濃厚である」という歴史的な答弁を

しました。

そして、９月、石岡亨さんから松木薫さんと恵子の３人で

北朝鮮に暮らしているという手紙が石岡さんの実家に

届きました。そこには、石岡さん、恵子とその二人の

子であると思われる赤ん坊の写真三枚、旅行保険証書などが

同封されており、恵子たちが送ったものであることは

間違いありませんでした。

しかし、私たちが得た証拠に対する霞ヶ関、永田町の

反応は鈍く、冷淡でした。

私と家内はすぐに警察庁、外務省などを訪れ救出を

求めました。そのとき外務省北東アジア課の事務官は

「これが公表されたら、本人に危害が及ぶこともあり得ます。

当分秘密にしておきましょう」と提案しました。

家族としては、外務省がそんな提案をしたのですから、

世間には秘密にしているけれども外務省は内々で解決を図り

必ず何とかしてくれるのだ、と信じてその提案に同意しました。

なお、このとき、自民党、社会党の政治家の事務所にも

相談に行きましたが、唯一、親身になって話を聞いてくださったのが

安倍晋太郎事務所でした。安倍晋三前首相は当時、同秘書として

勤務しており、そのときから一貫して拉致問題の重要性を理解し、

出来る限りの努力をしてくださったことも忘れられません。

1989年１月に当時の竹下登首相が国会で、「前提をつけずに

北朝鮮と話し合う用意がある」と発言しました。当時の私たちは、

北朝鮮に関する国の動きは、常に恵子たちのことを踏まえていると

思いこんでいました。竹下発言を聞いて、私たちは政府は北朝鮮との

国交交渉の場で、恵子たちの救出に取り組んでくれるのだと

喜びました。それで竹下首相に手紙を送ったりもしました

（後日、竹下事務所に確認すると「受け取ってない」と

いわれてしまいましたが）。（つづく） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/script/entry1460.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信①</title>
		<description>■過去の検証なしに拉致の解決はない■

私は北朝鮮に拉致された有本恵子の父、明弘です。

金正日が拉致を認めて５人の被害者が帰国したのが

2002年ですから、すでにそれから５年が過ぎました。（平成19年11月当時）

しかし、北朝鮮外務省は今年（平成19年）７月はじめ、拉致問題は

すべて解決したと開き直る備忘録を公開しました。

このことに端的にあらわれているように、拉致問題への

北朝鮮の姿は全く変わっていない。拉致被害者のうち、

死亡とされた８人（私の娘も含まれています）や

未だに拉致自体が認められていない、多くの被害者も

放置されたまま残っているのです。

事態はなぜ進展しないのか。

もちろん、

一番悪いのは北朝鮮の金正日政権です。

しかし、過去、日本の中に

拉致隠蔽をはかった勢力がおり、今に至るまでその人たちが

きちんとした反省をせずに、政界やマスコミなどに残っており、

その勢力が、拉致問題解決を背後から妨害しているのではないか、

と強く危惧するのです。

私の持論は「拉致を隠蔽した金丸外交と

それに加担した政治家、マスコミの検証なしに拉致の解決はない」

です。

その点に関して、私がこれまで経験してきたことを

話させていただき、さらにそれを踏まえて

問題提起させていただきたいと考えています。

北朝鮮が日本人を拉致していることが明白になったのは

1988年です。しかし、その直後に金丸信氏、田辺誠氏ら

自民党と社会党の政治家、外務省は明白になった拉致の事実を

隠蔽し、拉致問題の解決なしに日朝国交正常化を目指すという、

許し難い外交を行ったのです。それを支えたのは今の（平成19年当時）民主党代表、

小沢一郎氏や先の（平成19年の）選挙で民主党から参院議員に当選した石井一氏らです。

そして、本来ならその許し難い外交を国民の前に告発すべきマスコミが

拉致問題を無視して、金丸氏らを助けたのです。

第一に、私が体験した政治家と外務省の拉致隠蔽工作を記し、

第二に、隠蔽工作に加担したマスコミについて告発します。（つづく）

＊「正論」平成19年11月号より（加筆・修正のうえ転載） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/script/entry1454.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>「有本明弘さんの手記」連載について</title>
		<description>

☆心ある日本人必読！有本明弘さんの手記を転載させて頂きます

『どうしても言いたい！拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信』

と題した有本明弘さんの手記（「正論」平成19年11月号に掲載）を

有本さんのご了解を得て、本ＨＰ上に転載させて頂きます。

数十年間にわたる有本明弘・嘉代子さん御夫妻による恵子さん救出の戦いの概要と

有本恵子さん拉致と救出活動を通して浮かび上がってくる

現代日本社会の病んだ姿、病理・病根を改めて認識するとともに

なぜ拉致救出が一向に前に進まないのかを考えるためにも、

この有本さんの手記は心ある日本人にとって必読の一文です。

是非、お一人でも多くの方々に御一読願いたいと思います。 </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/script/entry1451.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（20）</title>
		<description>告発の取り扱いについて

・韓の告発から２年５ヶ月、曹の告発から１年７ヶ月が経過しているが（当時）、

もし、事実誤認があって犯罪が成立しているのならば、

一刻も早くそれを公表して両名の名誉が不当に毀損され続けている状態を、

終わらさなければならない。

・あるいは、犯罪の事実はあるが起訴が難しい場合、

これは捜査を怠る（たな晒しにする）理由にはならず、

捜査しなくてはならない。

・道義的責任があっても、法律が無いために犯罪が成立しないのであれば、

国家の治安維持の根幹に関わる重大事であるから、

直ちに立法処置が望まれる。

・時効が成立するか否かが判断し難いならば、

内閣法制局に見解を出させる必要がある。

・上記の点を放置したまま、

事実上、たな晒しの状態を続けている現状は許されないのではないか。

（告発の取り扱いについて　おわり。以下つづく） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1449.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（19）</title>
		<description>問題点

（韓国の司法当局への告白について）

・韓竜大と曹廷楽の両名に共通する供述の中に、

「韓国へ行って当局に洗いざらい話した」という

くだりが存在する。

さらに、曹の話によれば、韓国での供述に基づき

日本の警察も聴取にやって来て、それに応じた

とある。

・これが真実ならば、日韓の超法規的捜査協力の存在が

疑われる。

・また、日本の警察にも、、、ということになれば、

一種の司法取引が超法規的に為されたということに

ならないか？（問題点おわり　以下つづく） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1433.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（18）</title>
		<description>問題点

（田中実さんの出国に関する疑問）

・韓竜大の告発について、警察は

「出国記録ならびにパスポート申請記録を

探しているが、当時はすべて紙媒体であり、

保管されていない可能性が高い」として、

物証がないと言わんばかりである。

しかし、それならば、

平成８年12月の兵庫県議会警察常任委員会における

警備部長答弁では、何故

「昭和53年６月６日」出国と認めたのか？（つづく） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1431.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（17）</title>
		<description>曹廷楽告発へ

・曹は当初激しく抵抗したが、すぐに落ち着きを取り戻し

着席して私たちの質問に答え始めた。

やり取りは１時間以上に及び、概ね以下のような理由から、

私たちは曹の告発へ踏み切る決意を固めた。

①田中実さんが拉致されていること自体は否定しない。

②平成14年韓国へ渡り、当局へ身の上を告白している。

韓竜大は２年前にそれを終えている。

③名誉を守る手立てを講じない理由はなかった。

④肝心な部分は否認するのではなく、韓竜大に訊け、とはぐらかす。

⑤文書による回答を求めた質問状にまともに答えようとしない。

⑥罪名罰条は前回同様に、平成15年７月22日に提出した。

受理は約10日後だった。（韓竜大告発へ終わり　以下つづく） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1429.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（16）</title>
		<description>曹廷楽告発へ

・平成15年６月、

ある雑誌社から直撃取材同行のオファーを受けた。

「この機を逃してなるものか」

私、長瀬と岡田氏の２名は躊躇なくこれを承諾、

直ちに山形へ飛んだ。

（FRIDAY2003年６月20日号参照）

・張り込み３日目、

奇跡的に温泉へ出かける曹をキャッチ、

直撃取材が成功した。（つづく） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1427.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（15）</title>
		<description>曹廷楽告発へ

・曹は事件を主導したと考えられるだけに、何としても

それを裏付ける新たな証拠を入手しなければならない。

しかし、もはやそれは、民間人の領域を踏み越えており

不可能に思えた。

・「何故反論しないのか？」本人に訊くのが一番ではあるが、

山形県から１軒の家を探し当てるのは容易ではない。

ここでも張氏の日記が活躍して、まず曹が経営する

遊技場の所在地が判明し、各地の関係者にも御協力頂き、

ついに曹の自宅を突き止めたのであった。（つづく） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1425.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>写真と記事でつづる「田中実さん拉致事件と救出活動」</title>
		<description>





フリップを持っているのが当会代表の大矢です




 </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1423.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（14）</title>
		<description>曹廷楽の告発に向けて

（張龍雲氏の置きみやげ）

・しかも、当該民事紛争は

結果的には曹に軍配が上がっているにも関わらずである。

・張氏の日記は、

我々が曹を告発するために大きな置きみやげとなったのである。

我々は準備に着手した。」 </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1410.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（12）</title>
		<description>曹廷楽の告発に向けて

（張龍雲氏の置きみやげ）

・以下は情報提供にあたり秘匿を約束したため、

実名は差し控えるが、

その関係者は長瀬の申し入れを快く承諾くださり、

張氏が遺した膨大な量の日記を貸して頂いた。

・中には、

大乗寺事件や十文字山事件といった、

関西の在日社会で起こった経済事件（詐欺）に関する記述も多いが、

中でも特筆すべき資料を発見することができた。（つづく） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1406.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（11）</title>
		<description>曹廷楽の告発に向けて

（張龍雲氏の置きみやげ）

・田中実さんに関わる原点は、

言うまでもなく張龍雲氏の告白であり、

その著書「朝鮮総連工作員」である。

しかし、刊行物に著された内容には、犯罪を立証するだけの証拠価値があるのか否か、

その疑念は当初から私たちの心を惑わせた。

・張氏の死去から２年近く経っていたが、

そういえば、

「分からないことがあれば、いつでも尋ねなさい」と言われて

受け取った名刺があったことを思い出し、

思い切って訪ねてみることにした。（つづく） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1405.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（13）</title>
		<description>曹廷楽の告発に向けて

（張龍雲氏の置きみやげ）

・それは、平成９年（1997年）１月に山形県下で起こった、

張氏と曹の民事紛争に関わる告訴状の写しであった。

内容は、「洛東江」という組織名をあげて、

曹が非合法組織の幹部であり、その活動の一環として

資金集めを行ってというものであった。

・ということは、平成８年から９年にかけて、

月刊誌や単行本による表現と、利害の対立する法廷における一方的な表現により、

著しく名誉を傷つけられている訳で、

当然のことながら、その対抗処置として、

名誉毀損等の告訴を行ってしかるべきところを、

何もやっていないのである。（つづく） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1412.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（10）</title>
		<description>韓竜大の告発（つづき）

・田中実さんが姿を消した後、

オーストリアからの国際郵便が金田さんへ届けられた。

差出人は田中さん。

内容は「オーストリアは良い所だから、

君もこっちへ来ないか」という誘いだった。

金田さんは筆跡に疑いを持ち、

この証言者にそれを打ち明けていた。

しかし、

この誘いを受け入れてしまった金田さんは、

渡欧準備のために上京することになり、

何とあの中華料理店「来大」で送別会が開かれたそうである。

・上京した金田さんは音信不通となり、

約半年後に証言者の近親が「来大」の韓を詰問したが、

韓は「知らない、

分からない」といった要領を得ない返事に終始した。

・以上の内容を、

国外移送目的略取等（刑法２２６条）を罪名および罰条とする、

告発状に添付して、平成14年（2002年）10月4日、

兵庫県警に提出した。受理は奇しくも10月15日、

拉致被害者５名が帰国した日であった。 </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1345.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（９）</title>
		<description>韓竜大の告発へ（つづき）

・田中実さんが育った施設関係者の証言、

張龍雲氏が「拉致工作」を告白した横田さん夫妻へ宛てた手紙、

そして渡辺先生の証言、

しかし、

事件性をうかがわせるものがなく、

途方にくれたが、

同郷の岡田氏が執拗な調査を続けて、

ついに決定的な証言を得た。それは、

田中実さんと同じ施設で育った後輩の金田竜光さんを、

一時期雇っていた雇用主の関係者によるものであった。

証言者と金田さん、

および周辺関係者は、

田中実さんの働いていた中華料理店「来大」へ頻繁に出入りしており、

金田さんは金ちゃんと呼ばれ親しまれていた。（つづく） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1343.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（８）</title>
		<description>韓竜大の告発へ

・小泉首相の訪朝後の11月、

日朝国交正常化実務者会議が開かれ、

日本側が複数の拉致被害者を照会した。

何かの集会に参加していた平沢勝栄衆議にお会いした折、

田中実さんはどうなったのですか？

とお尋ねしたところ、

そのリストの最前列で照会してあるとのことであった。

しかし、

拉致認定される様子は全く感じられなかった。

・この機に及んで未だ消極的な国に対して、

もっと強力に訴えられるものはないか、

策をめぐらしてたどり着いたのが「告発」であった。

・「相手を訴える法律知識（自由国民社）」を参考にして書面を整えるという、

誠に稚拙な行為ではあったが、

可能な限りの証拠集めに奔走することになった。（つづく） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1341.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（７）</title>
		<description>「渡辺友夫先生、韓を直撃する！」

渡辺友夫先生は、

平成15年４月、八戸市内で隠遁生活を送る韓竜大を直撃。

しかし、実は、これが２度目の訪問であった。

この２ヶ月前にも同じ場所を訪れ、

面会を試みるも失敗。

やむなくあきらめ、帰らざるをえなかったのである。

（講談社ＦＲＹＤＡＹ０３．５.27に詳しい） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1339.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（６）</title>
		<description>＜救出活動の経緯＞

（３）恩師・渡辺友夫先生

・田中実さんが在学していた頃の神戸工業高校の技術課程は、

１年から卒業までの３年間クラス替えはなかったそうである。

それ故に田中さんのことを覚えているクラスメイトも多い。

ただ卒業から40年近く経って、それぞれの人生を歩んでいる同窓生たちが

名乗り出るのは困難なことであり、私たちもそれは自覚していた。

しかし、そんなことは全くものともせずに立ち上がられた人がいる。

３年間担任教師であった渡辺友夫先生である。

・学校ＯＢに知己のある知人を介して、

「自分が田中の親代わりに」という渡辺先生の申し出を受け、

早速長瀬救う会・兵庫代表が先生のお宅へ赴いた。

・御高齢にもかかわらず、かくしゃくとされた方である。

挨拶もそこそこに田中さんの思い出を語られた。

「彼は施設から通っていたので、常に気をかけていました。

当時の同級生には同じ境遇の者はいなかったので、心配したのですが、

屈託のない笑顔を見せる奴でした。

しかし、弁当が（施設で提供される）小さくて粗末なものだったので、

職員室に呼んでおかずを分けてやったりしました、、、」

ひとしきり語り終えた先生の目は、涙で一杯だった。

・以後、渡辺先生には、あらゆる場所にお運びいただき、

田中実さん救出のために御尽力いただいた。

そして、

ついには、青森県八戸市内で隠遁生活を送る韓竜大を訪れ、

直接お会いいただいたのである。

同行した某雑誌の記者によれば、へらへらとはぐらかす韓に対して、

渡辺先生は掴みかからんばかりの勢いであったそうである。

（その時の様子については、ＦＲＹＤＡＹ平成17年５月27日号に詳しい） </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1321.html</link>
			</item>
	<item>
		<title>田中実さん拉致事件と救出活動について（５）</title>
		<description>＜救出活動の経緯＞

（２）田中実さんの写真公開

・平成14（2002）年は、３月には八尾めぐみ氏が有本さん拉致を証言。

９月には小泉首相が訪朝。

何ともドラスティックに変化した感のある年だったが、

その陰で田中実さんに関して重大な事実が発見された。

・田中さんと同い年の岡田和則氏（当時、救う会・兵庫のメンバーとして活動。

現在、特定失踪者問題調査会常務理事）が、同じ学区（中学校）だったことが判明。

岡田氏は中学校から私学に進学したが、多くの同窓生は田中さんと同じ鷹匠中学校へ入学しており、

そこで田中さんと同窓になったのである。

“灯台下暗し”とはまさにこのことであった。

・岡田氏が早速同窓生に呼びかけたところ、あどけなさの残る中学生時代の田中さんの写真が

手に入ることとなった。

それが声明とともに公開された１号写真だったのである。

・９月16日の「総理訪朝緊急国民大集会」開催直前、

日比谷公会堂の楽屋で開催された幹事会は、異様なまでの緊張感に包まれていた。

訪朝直前の家族との面会を拒む小泉首相に、語気を荒げる関係者も少なくなかった。

その最中に１号写真の掲載されたチラシは披露されたのである。

・しかし、事態はこれで終わらなかった。

小泉首相が機上の人となり、私たちも帰路についた同日、

また新たな証拠がもたらされたのである。

・何と高校時代の卒業アルバムがもたらされたのである。

そこには、１号写真からはうかがい知ることのできない、

生き生きとした男子としての田中さんが収められており、

その豊かな表情は私たちの認識を一変させた。

「田中実さんは生きている！」

・帰国した小泉首相が、「５名生存10名死亡」と家族に告げたその夜、

私たちは憤りにうち震えながらも、皆同様に

「このままでは田中さんは見捨てられてしまう」

との思いを禁じえなかった。

・９月22日、緊急報告会として有本さんに御登壇いただいた後、

数種類の２号写真をマスコミに公開した。

その２号写真は衝撃をもって受け入れられたらしく、

各紙に田中さんが大きく取り上げられることとなった。

さらに情報は寄せ続けられたのである。 </description>
		<link>http://www.nippon-blueribbon.org/privacy-policy/entry1319.html</link>
			</item>
</channel>
</rss>
