<救出活動の経緯>
(1)張龍雲氏との出会い
・平成12年(2000年)秋、神戸市内において、或る団体の
設立記念式典が開催され、記念講演の講師として張龍雲氏が
登壇された。
私たち「救う会・兵庫」の活動にも理解を示していてくれた
その主催団体は、同年3月に家族会と救う会が実施した
「北朝鮮への50万トン米支援・反対抗議行動」
いわゆる「座り込み」に関する報告の場を提供してくれたのであった。
・「救う会・兵庫」はその催しの楽屋で張氏と初対面の挨拶を交わした。
張氏はすでに持病の糖尿病がかなり進行していると語り、
もっと早く皆さんと会っておけば良かったと云って、
長瀬代表の手を握られた。
車椅子から降りる時も奥様の介添えを必要とするほど、その病状は
相当進行していた。
いつでも分からないことがあれば尋ねなさい、と言って名刺を
差し出されたが、その約半年後、張氏は帰らぬ人となった。
・その日の講演内容は、その前年出版の「朝鮮総連工作員」に関する
内容であったが、特に田中実さんのくだりについては
詳しく言及されていた。
・それ以降、兵庫県下で実施する街頭署名活動においても、
有本恵子さんとともに田中実さんの名も連呼して
救出を訴えるよう努めることになった。
しかしながら、
田中実さんに関する世論の関心は極めて低く、
また、張氏の告白を補完するような新たな証言や証拠も
得られず、時の経過を許す日々が続くこととなった。





