1987年10月17日に帰国するまで、その間10年間は北朝鮮にいた。
日本革命村は平壌郊外のテドンガンのほとりにある。
ゲートがあり、フェンスで囲まれている。人民軍が警備しており、
自由に出入りはできなかった。
よど号犯人たちに与えられていたのは、家族単位のアパート、事務所、
会館(ここでは学習会や映画がある)、食堂、それらとは別に労働党の事務室がある。
よど号犯人以外では、管理所に労働者がおり、金日成総合大学の研究室もある。
よど号犯人の指揮系統は、田宮→小西→男達→妻たち。
革命村での生活は、朝6時30分起床、体操とランニング、妻たちは食事を用意、
男達は掃除。教育プログラムは妻たち8人が受けた。
1977年5月から1978年末頃まで教育を受けた。指導者から、「もう卒業だ」と言われた。
教育内容は、金日成思想、金日成哲学、政治経済、歴史、朝鮮語など。
指導者は社会科学学院や金日成総合大学の教授たちが先生。(つづく)





