『恵子、お母さんは待っていますよ!』第10回 政治の罪・不作為の不当性③ その4

父、明弘さんの確信

本紙25号記載、昭和63年3月26日の参議院予算委員会における、

共産党の橋本敦議員<当時>の質問は、

「拉致事件」に関する初めての国会質問と称するに価するものであった。

同委員会では竹下内閣の宇野外相及び梶山国家公安委員長が

明確に事件を認めた上で、事件性とその緊急性に言及していたのである。

ご夫妻が恵子さんの生存情報を手にしたのは、同年(1988年)9月であり、

暗中模索の中あらゆる可能性を考えて東奔西走していた頃、

既に政府や国会は「拉致事件」を知っていたという事になる。

もちろん恵子さんの事件そのものは委員会議事録には見当たらない。

しかし、斯くも明瞭に「北朝鮮の国家意志」による事件を認めておきながら、

再三にわたるご両親の陳情に対し、外務省をはじめとする政府機関、

官僚、国会議員、マスコミの冷徹な態度は理解できない。(つづく)

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