『恵子、お母さんは待っていますよ!』第10回 政治の罪・不作為の不当性③ その8

質問 有本家を訪問されたおり、

「党の諒解」に言及されたそうですが、

どのような「諒解」だったのでしょうか?

兵本氏 党の諒解と言った覚えはありませんが、

いずれ国会で取り上げるであろうから、

その為の調査であると言ったと思います。

質問 法務委員会の傍聴の為、有本さんを含む家族を招聘されましたが、

どの家族を招聘されましたか?

そして、何故この法務委員会における質問が流産したのですか?

兵本氏 昭和63年(1988年)新潟・福井・鹿児島の

3組6人の救出について調査しました。

以後一貫してご家族に対し、

「共通の被害者なのだから、被害者の会をつくるべきだ」と

10年来訴えていましたが、当時ご家族には

「同一グループによる犯行=共通の被害者」という認識は薄かったのです。

その後のマスコミ報道により徐々に、そういう機運が醸成され

「家族会」結成に至る訳です。

ですからこの時の呼び掛けは、

3組6人のご家族と有本さんに対して個別にお話しました。

唯この時点では有本さんの件に関して、証拠に乏しく確信が持てませんでした。

法務委員会が開かれなかったのは、圧力でも何でもありません。

単に法務大臣が出席を取りやめた為に延期され、その後別の問題が提起されたので、

結果的に流産してしまったに過ぎません。(つづく)