『恵子、お母さんは待っていますよ!』第10回 政治の罪・不作為の不当性③ その12

(兵本氏の発言つづき)

その後、

拉致議連(旧)の永野参院議員(自民党)<当時>からレクチャーを求められ、

一大決心をしてレクチャーに臨んだのです。

当時私は59歳、定年まで1年余でした。

(共産党では)

通常政策秘書は定年後も65歳くらいまでは延長されるのが慣例でしたが、

どういう訳か私の場合は60歳と決められていたので、迷いはありませんでした。

そのレクチャーには警察庁外事課も同席しており、

「警察関係者と昼食を取って、、、」と追求され、

はじめから「除名」ありきの20時間に及ぶ党内取調べを受ける事となったのです。

私としては表彰されこそすれ、

お叱りなんぞを受ける筋合いはないと考えていましたので、

党との対立は一層深まりました。

政府がこの頃47~48名の拉致被害者を把握していたのは確かです。

しかし救出に向けた具体的な行動は皆無でした。

調査の為のプロジェクトチームを発足させる事すら出来ませんでした。

なぜなら、(拉致解決を)声高に標榜しても

対抗手段としての軍事力の行使が出来ない以上、

窮地に陥るのは日本であるという考え方が、

与野党を問わず支配的だったからです。(つづく)