『恵子、お母さんは待っていますよ!』第11回 助けるべき人権、不要な人権 その6

それから遡ること約2年の平成3(1991)年1月7日は、

毎日新聞をはじめとする各紙が

一斉に恵子さんの事件を報じた日であるが、

同紙の記事を担当した山崎記者は、

この「公開セッション」に明弘さんを招き、

ある人物と引き合わす事を企画した。

その人物は大阪弁護士会に所属する藤田一良弁護士だった。

明弘さんは恵子さんの経緯をひととおり説明し協力を要請した。

そして2~3ヶ月後のある日、彼から連絡が入る。

「私は現在の大阪弁護士会会長と懇意だが、

間もなく会長が交代してしまうので、すぐに来て欲しい」

という事だった。

明弘さんと嘉代子さんは、

手元にあったすべての資料を携えて同弁護士会を訪れた。

藤田弁護士は「うち(大阪弁護士会)では荷が重過ぎる」と言い、

日本弁護士連合会(日弁連)へ送付して、

人権救済を申し立てる他に道はないという事をご両親に伝え、

諸手続きを代行する事を約束した。

ちなみに藤田弁護士からはその後も連絡が有り、

今でも(当時)ご両親とは懇意にされているという。(つづく)