『寺越事件から”拉致”を問いなおす』

救う会兵庫 代表の長瀬さんから

12月12日(日)の拉致救出集会の開催に際し

以下の原稿をいただきましたので

掲載させて頂きます。

是非ご一読ください!

『寺越事件から”拉致”を問いなおす』

~12・12 救出支援集会に御参加を~

救う会兵庫 代表 長瀬 猛

寺越事件とは・・・

昭和38年(1963)5月11日、石川県羽咋郡志賀町沖合にてメバル漁操業中だった、寺越昭二さん(36歳)、寺越外雄さん(24歳)、寺越武志さん(13歳)が、行方不明となり、死亡認定された後の昭和62年(1987)1月22日に北朝鮮にて生存を伝える手紙が親族のもとに届き判明した事件。現在は武志さんのみ北朝鮮で生存しています。

本年10月8日に逝去された、寺越文雄さん(神戸市東灘区在住)は外雄さんの兄、外雄さんが北朝鮮でもうけた家族への支援を続けていました。

文雄さんは、北朝鮮で一大事が発生したときに、このままでは救出すべき対象から、彼らが外れてしまうのではないかと心配して、1.外雄の拉致認定、2.人身保護請求、3.家族の日本国籍の確認を政府に求めて行動を開始していた矢先、病に倒れ帰らぬ人となってしまいました。

昭和62年、生存の知らせを受け、寺越家は関係各機関に救出の要請をしました。そして当時社会党の衆議院議員だった嶋崎譲氏が、北朝鮮当局との交渉を担当し、寺越事件は「海難事故」とされ、寺越家は分裂してゆくことになります。

政府は寺越家の3人を拉致認定しない理由として、寺越武志さんが一時帰国を果たした折、自ら「拉致ではない」と否定したことを第一の理由としていますが、事件が明らかになった時点で、政府が全面的にこれを引き受けて交渉していれば、今のような事にはなっていなかったはずです。

私たち救う会兵庫は、亡き寺越文雄さんの遺志を引き継ぎ、外雄さんの家族の救出へと繋がる国籍認定を引き続き、政府に求めてまいります。

12・12集会では、昭和62年に製作された事件を伝えるドキュメント番組と、寺越文雄さんが遺された、遺言メッセージ(動画)を公開して、寺越事件から”拉致”を問いなおす契機にしたいと考えております。

是非ご参加ください。

また、本年2月に寺越文雄さんが拉致問題担当大臣に提出された要請書を

以下に転載しますので、併せてご一読ください。