寺越文雄さんの申述書

平成22年2月24日
拉致問題担当大臣 中井 洽 殿

寺越外雄の兄 寺越文雄
北朝鮮による拉致被害者家族連絡会代表 飯塚繁雄
北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会会長 藤野義昭
救う会兵庫代表 長瀬 猛

要 請 書

拉致問題の解決のためにご尽力を頂き、誠にありがとうございます。
ご承知の通り、寺越外雄は、兄・昭二、甥・武志とともに昭和38(1963)年5月11
日、北朝鮮に拉致され、平成6(1994)年9月5日に彼の地で客死しました。しかし、
現在も妻(韓福生)とその2人の子ども(長男・明哲、長女・明心)は厳しい環境の中、
彼の地で必死に生きています。
昭和62年(1987)1月22日、外雄から生存を知らせる手紙を手にして以来、寺越文
雄をはじめとする兄弟、親戚は、みんな必ず帰ってくると信じ、金品を送ったり手紙で
励ましたりしながら、今日までやってまいりましたが、寄る年波には逆らえず、希望の
光も遠のいて行くような気がいたします。
そこで、このたび寺越文雄が手元で保管していた手紙や写真などを元に、外雄の家族に関する基本的な事柄を整理して、彼らが本来もっている日本国籍を確認して頂き、その保護と人権の回復をお願いしようと思い、本状を持って参った次第です。
何卒、政府一丸となって下記の事項に付き果敢に行動して頂きたく、お願い申し上げます。

要請事項
1 政府は、寺越事件を北朝鮮による拉致事件と認定すること。また、寺越外雄の家 族を拉致被害者家族として位置づけること。
2 法務省は、寺越文雄らが進めようとしている寺越外雄の戸籍上の死亡日の変更、長男長女の戸籍作成作業を支援すること。
3 外務省は、北朝鮮との交渉において寺越外雄の妻と子ども、そしてその配偶者及び直系子孫について、安全を確保し日本への帰国を求めること。

●資料

寺越外雄さん家族関係資料
(平成22年2月24日・救う会まとめ)

1 人的関係
寺越外雄
昭和14年(1939)2月7日生まれ
寺越嘉太郎、こきん夫婦の4男
昭和38年(1963)5月11日 次兄・昭二、長兄の息子・武志とともに石川県近海で北朝鮮により拉致される
昭和62年(1987)1月22日 日本の家族にはじめて手紙が届く
昭和62年8月30日 長兄で武志の親である寺越太左ヱ門・友枝夫妻が初訪朝、社会党代議士嶋崎譲が同行、外雄とその妻、2人の子どもとも面会
平成6年(1994)9月5日 外雄、肺がんのため死亡。享年55歳

外雄の妻
韓福生
大阪出身の在日朝鮮人
昭和35年(1960) 母(韓福順)、妹と北朝鮮へ帰国(父、姉は日本残留)
昭和45年(1970)※ 外雄と北朝鮮で結婚 (結婚年は嶋崎譲『再会』による)

外雄の長男
金(寺越)明哲
昭和46年(1971)生まれ 誕生月日は不明
平成8年(1996)万豊大学獣医畜産学部卒業
専門学校の講師となる、4年で退任
平成12年(2000)8月8日 結婚、娘が一人
亀城牧場の畜産技師(現職)

外雄の長女
金(寺越)明心
昭和49年(1974)生まれ 誕生月日は不明
平成21年7月の「手紙」によると、美容師を目指しているという

2.寺越文雄証言
昭和11年2月12日生まれ
寺越嘉太郎、こきん夫婦の3男
(なお拉致被害者、寺越昭二は次男、外雄は4男、武志は長男太左ヱ門の長男)
平成9年6月27日の寺越武志「死亡取り消し決定」を受けて、海上保安庁から私(寺越文雄)に「外雄さんはどうしますか」と尋ねられました。
私(文雄)は、「もう死んでしまった人間の、死亡日を変えても仕方ない」と思い、
この申し出を辞退してしまいました。その結果甥の明哲、姪の明心が生まれながらに
持っているはずの日本国籍が確認できなくなってしまいました。
このような経緯により、本要請に至った次第です。

甥の明哲、姪の明心の生年は分かりましたが、誕生月日は、残念ながら私の手元の
手紙などからは分かりません。しかし、20年以上にわたる手紙のやり取りと多くの写
真から、2人が外雄の子供であると確信しています。

昭和62年1月、外雄から初めての手紙が届き、同年8月、太左ヱ門・友枝夫妻が初訪朝、社会党代議士嶋崎譲が同行しました。この第一回目の訪朝には、私(文雄)も参加する予定でしたが、長兄の太左ヱ門に譲ったのです。当時は、3人ともすぐに帰って来られると思っていました。
平成2年8月、太左ヱ門・友枝夫妻が二回目の訪朝、社会党代議士嶋崎譲がその際も同行しました。この訪朝で、病死したとされる昭二の「遺骨」と称するものが引き渡
されました。しかし、中身は土だったのです。
三回目の訪朝からは、友枝単独になります。これ以降、友枝の訪朝は繰り返され、
親族は彼女に金品を託しました。
しかし、外雄の家族からの希望で、別に分けて送るようになりました。
平成6年9月5日 外雄が肺がんのため死亡したと伝えられました。享年55歳です。その後も外雄の家族との手紙のやりとりと金品支援は続けました。
平成7年1月17日に阪神大震災が発生、被災しました。昭和62年から始まった物的支援は、震災をもって一旦終了しました。理由は、全壊した店舗と住宅の再建で余裕がなくなったのと、二人の子供も大きくなっており、いつまでも支援に頼っていてはい
けないと考えたからです。
平成12年8月8日、外雄の長男・明哲が結婚しました。結婚祝いなどを、新婦の関係
者に託しました。
平成14年9月17日 小泉首相の訪朝、日朝平壌宣言の調印。金正日が拉致を認めたことを受け、寺越家として声を上げることになります。
平成22年2月23日 福生さんから最後の手紙が届きました。

3.明哲、明心の出生年を証明する手紙
明哲 1971年生まれ
明心 1974年生まれ

(1)外雄、福生から文雄へ 1988年1月2日付け
「僕の長男明哲は今年17歳で9月に中学校を卒業します。僕の考えでは大学に進学(医大、又は機械大学)させようと思います」

(2)外雄から文雄へ 1989年1月11日付け
「新しい年を迎え僕は50才、妻は43才、明哲は18才、明心は15才に成りました」
※外雄は1939年2月7日生まれ

(3)明哲(長男)から文雄へ 1994年12月8日付け
「今年わが家では不祥事ができた。ちちかわたしたちの至誠と企待に逆に身病と因な
苦痛中9月5日死亡した。只今全家族は断腸の思いています。(原文まま)(略)
万豊大学獣医畜産学部獣医畜産学科5学年 金明哲より」
※北朝鮮では大学5年生は満21-22歳

(4)福生から文雄へ 2001年10月9日付け
「明哲もみなさんの援助のかげで無事に結婚にゴールイン致しました。今年は明心の
番になりました。相手は中学校の先生で私の友達の息子さんです。(30才)明心も27才でヨメに行く年はもうすぎたんですが、明哲のためおそくなりました。」

寺越外雄の家族の出生年(救う会計算)
寺越外雄 妻・韓福生 長男・明哲 長女・明心
1939年2月7日生
1988年1月2日手紙(1)に記載 17歳
1989年1月11日手紙(2)に記載 50歳 43歳 18歳 15歳
1994年12月8日手紙(3)に記載 大学5年生
2001年10月9日手紙(4)に記載 27歳
※以上の事実から
家族出生年 1946年生 1971年生 1974年生
2010年2月24日現在年齢 64歳 39歳 36歳

以上