両親は一切援助しなかったという。
「それで諦めるに違いない」と考えての事だ。
しかし気丈な性格の恵子さんは、
幼い頃より慕っていた父明弘さんの妹Sさんを頼りにしつつ渡航の準備を始めていた。
Sさんは物心両面で彼女を支え、恵子さんもまた多くの悩みを打ち明けていたに違いない。
それがまさかこんな事になるとは・・・Sさんもまた悲劇の渦に巻き込まれていくのである。
「私たちは最後の最後まで反対したんです」と母の声は震えていた。
恵子さんの決意は固く、彼女は旅立った。
ロンドンでの生活費、学費のすべてを賄うために、
見知らぬ土地で彼女はベビーシッタ-として子供たちに接しながら頑張っていたという。
反対を押し切っての渡航であればこそ手紙は欠かさなかった。
約束を大幅に過ぎた約一年半後の昭和五十八年十月、コペンハーゲンで消息を断つまでは。(つづく)




