母は「とにかく娘は生きている。
何がどうなっているのやらさっぱりわからないけど、
何とかしなくては」と当時の興奮と不安を表現した。
傍らで終始無言だった父も「言うなと言われても、
もう娘の事は頼んでいたので警察へはIさんの事を話した。
すると執拗にその写真と手紙の提供を求められて、
随分困惑した」と警察との生々しいやり取りの一部始終を語り始めた。
事件はこの直後から再び県警外事課が担当する。
県警は数年後、
北朝鮮の工作員と恵子さんが一緒に写っている写真を
”確たる証拠がある”として両親に提示した。
しかし、警察は恵子さんの生存をいつから知っていたのだろうか?
提示された写真は1983(昭和58)年7月16日にコペンハーゲンの
カストロップ国際空港のロビーで、
現地捜査当局がマークしていた、
キム・ユーチョルなる人物を撮影したものだった。
更に、恵子さんはこのとき偽造旅券を使わされたという事まで確認されている。
両親は12年前のこの時点で”拉致事件”の存在など知る由もない。
それどころか前出北海道のハマダ氏の
”口止め”にも一点の疑念も抱かなかったという。
娘の身を案じればこそ当然であるが、
娘との再会を信じて迅速に行動した。
そして先ず、
当時社会党の衆議院議員・土井たか子の地元事務所(西宮市今津)へ
赴くのである。。。。。(つづく)





