昭和63(1988)年9月、
北海道のIさんから受けた「ピョンヤンでの娘の存在」の一報から数日後
、両親は当時社会党の衆議院議員・土井たか子氏の事務所を訪問する。
恵子さんの事件で、
最も早く当事者の家族情報を受けた政治家は彼女である。
当日は秘書の保田秀雄氏が対応した。
「社会党が持っておられるパイプを活かして、
何とか娘の帰国に尽力して頂きたい」と懇願するも、
「本人(土井たか子)に伝えます」と素っ気無い。
以後音信もなく事実上の無視であった。
「やはり与党の実力者の耳に、直接訴えなければ・・・」
当初竹下登内閣総理大臣への直訴を企画したが何の伝手もなく、
議員会館への問い合わせにより、
次期総理と目されていた
故・安倍晋太郎自民党幹事長(当時)の事務所の紹介を受ける。
早速連絡すると「まずは来て下さい」と訪問を促され、
母嘉代子さんは単身上京、事務所を訪れる。
対応した秘書のR氏は「非常に難しい問題だが、
まずは当たってみましょう」と言い、
その日の内に嘉代子さんを警察庁と外務省へ伴った。
尚、後日R氏は「現在(北朝鮮から)莫大な金を要求されています」
と”難しい問題”とした原因として、
社会党が朝鮮労働党幹部党員を招聘した折、
帰国を前にして「国家賠償はどうしてくれるのか」と、
彼らが捨て台詞を残したという事案を明らかにした。
13年前(平成13年当時)の事である。(つづく)
長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より




