『恵子、お母さんは待っていますよ!』第3章 幻の会見2

 警察庁では「警察ではどうする事もできない」との返答しか得られず、

外務省では「国交がないので無理です」と門前払い。

同行しているR氏も「残されたルートは赤十字がありますが・・・」と頭を抱えた。

年内には両親そろって再度上京した。

警察庁外事課の担当者は「どうする事もできないが、

せめて外務省北東アジア課を紹介します」と外務省内へ二人を伴い、

山本課長補佐を紹介した。

しかし彼の口らは「今動きますとお子さんに危害が及ぶので、

絶対に動かないで下さい。」と、

口止め以外何ら新しい情報は聴かされなかった。

 

 地元選出の社会党衆議院議員川上民夫氏は、

「とにかく真意は(党中央に)伝えるが、難しい。

ルートは確かにあるが、

(北朝鮮に)話をした後の(国内の)体制が整わないと不可能だ」と

二人に語っている。両親に選択の余地はなかった。

考えうる最善の方策は、沈黙を守る事だった。

昭和63(1988)年、筆者が大学推薦試験に合格した年である。

世の中は後にバブルと呼ばれる好景気の真っ只中、

高級外車に彼女を乗せた先輩に憧れていた頃である。

有本さん家族が強いられた”沈黙”がいかに残酷であったか、

当時の世相を思い浮かべれば、それは容易に想像できる。

(1沈黙の始まりおわり。以下つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より