昭和63年の前年、
1987年11月29日ビルマ(現ミャンマー)の沖インド洋上のアンダマン海で大韓航空858便は失踪する。
「大韓航空機爆破事件」である。
ここで今一度時系列上に有本恵子さんの事件と、
両親の苦悩の日々を整理してみよう。
恵子さんの渡航が昭和57年(1982年)4月、
翌58年(1983年)6月には留学先のロンドンを離れ、
家族との最後の連絡は同年10月デンマークのコペンハーゲンからの手紙だった。
北海道のIさんからの生存情報がもたらされたのが、
失踪から5年後の63年(1988年)9月である。
「大韓航空機爆破事件」は、
家族が恵子さんの生存を知る前年、失踪から4年目に起きた。
「まさかこの飛行機に乗っているなどという事はないだろう」と思ったが胸騒ぎがしたと母は当時を振り返る。(つづく)
長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より




