取材は年を越えて正月にも及んだ。そして1月6日の夜、NHK神戸支局より電話が入る。
「明日(1月7日)の毎日新聞朝刊に、恵子さんの記事が大きく取り上げられる事をご存知ですか?」電話を受けた嘉代子さんは、
昨年暮れからマスコミ各社から一方的な取材を受けた事などを伝えた。
すると、今からすぐに取材に行きたいと申し入れて来たのである。
とにかく夜間故、当日の取材は断り、翌日であればという事で承諾した。
家族は一連のマスコミの動きをいぶかしんだ。なぜなら、
2年余月の辛い”沈黙”は、娘の無事を案じればこそ、
外務省などの”口止め”を受け入れたのである。
マスコミが本来知り得ない事実(恵子さんが北朝鮮に、2名の日本人と共に生存している事等)を、
なぜ外務省や警察がリークしたのか?なぜマスコミはこの時期を選んだのか?
1月7日早朝、NHK神戸支局から山本・田村の2名の記者がやって来たが、
数多の来訪者と同様にその答えを携えてはいなかった。
(3晴天のヘキレキおわり。第3章つづく)
長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より





