平成3年(1991年)1月16日、
記者会見が実現するはずだった日である。
当時のマスコミは連日ペルシャ湾に集結した多国籍軍と、
クウェートに侵攻したイラク軍の動向を連日トップで報じていた。
この日は湾岸戦争勃発前夜だったのである。
記者会見を司る幹事会社NHKは、
神戸から1月7日の取材で有本夫妻と面識がある田村記者と、
東京の崎本記者を派遣して、
2家族による(有本さん・I さんの家族が参加、熊本のMさんの家族は不参加)外務省への救済要望書提出から、
都内での記者会見に至る全行程を取り仕切っていた。(つづく)
長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より




