しかし、
平成3年(1991年)5月には、
大韓航空機爆破事件(1987年)の実行犯キム・ヒョンヒの教育係であった
「李恩恵(リ・ウネ)」が埼玉県の田口八重子さんであることが特定されたと、
警察から発表され、
平成4年(1992年)11月の第8回交渉で北朝鮮側が実務者協議を退席し、
同交渉は決裂した。
父有本明弘さんはこれを受けて単身外務省に赴き、
北東アジア課の山本課長補佐に対し、
「日朝交渉において、リ・ウネ(田口八重子さん)の一件だけを持ち出すとは一体どういうことか。
私の娘や、北海道のIさん
、熊本のMさんの事件解決はどうなるのか。
外務省は全員の解放を要求すべきではないのか」と詰め寄った。
山本課長補佐は、「心中お察しします・・・」と、
まるで暖簾に腕押しだったという。(つづく)
長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より





