遠藤はこの一件も含め3回有本夫妻に接触した。
最後に会ったのは平成5年(1993年)初旬だった。
ゼネコン汚職が発覚し、金丸信が政治生命を失いつつある頃だった。
その段階に至り、
もはや遠藤の有本夫妻に対する説得力の根拠は全く瓦解していた。
「金丸訪朝団の実現に尽力し、北朝鮮との太いパイプを得た」という、
当の頼りとする金丸が死に体同然であることは自明だったからである。その点を察してか、
この時の遠藤は終始、神妙な様子であった。
「本人(有本恵子さん)に渡すので、家族で手紙を書いて欲しい」と申し入れてきた。
たとえ、
わずかでも可能性があるならと
有本家の全員が、
限られたスペースに寄せ書きのように想いを綴った。
この手紙は結局、
恵子さんの手元に届くことはなかった。しかし、
ピョンヤンまでは運ばれていた。
この手紙は、思いもよらない人物が所持していたが、
有本夫妻がそれを知るのは2年後のことである。(1謀略の行方おわり。以下つづく)
長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より




