明弘さんはこの記事のコピーを基にしたチラシを作成し、
各報道機関へ送付、協力を要請した。
しかし、
各社全く取り合ってくれない。
そこで、
同窓会などで知人に配布し、
嘆願意見を記入して送付してもらうように依頼した。
かなりの人が、明弘さんの心からの願いを聞き入れ協力したという。
しかし、
マスコミからは無しのつぶてだった。
「どないなっとんや!」。
業を煮やした明弘さんは、
配達証明つき郵便で再度マスコミ各社へチラシを郵送するとともに、
NHK神戸支局へ電話をかけた。
3年前(1991年)1月16日の「幻の記者会見」で
神戸から有本さんに同行した田村記者を呼び出したが、既に転勤していた。4
年前のマスコミ各社による突然の集中取材以来面識がある山本記者も転勤していた。
しかし、
「幻の記者会見」の折、東京から派遣されていた崎本記者が、神戸に赴任していた。
電話には彼が応対に出た。(つづく)
長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より




