平成5年初旬、
遠藤忠夫が「必ず本人(恵子さん)に渡す」と言って、
家族の寄せ書きを持って姿を消し3年余月が経過していた。
話がそのことに及ぶと、何と高沢氏が彼と面識があると言う。
しかも、
平壌を訪問する際、
彼から「故・田宮高麿(よど号グループのリーダー)に渡して欲しい」と
手紙を託されたと言うのである。
高沢氏はよもやそれが、恵子さんの家族の手紙だとは知らず、
約束通り田宮に手渡したそうである。
高沢氏は、
おそらく北海道のIさんから入手したであろう鮮明な写真を3枚持参していた。
それは昭和63年(1988年)9月に、
有本夫妻が手紙と一緒に受け取った写真のコピーと同じものであった。
次の瞬間、夫妻は耳を疑った。(つづく)
長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より




