「恵子、お母さんは待っていますよ!」第6章日本赤軍よど号グループ② 田宮高麿の死(2)

以前にも触れたが、

よど号グループで一足も二足も早く帰国を果たした

柴田康弘は、

昭和45年4月のハイジャック事件(当時17歳)で平壌へ渡り、1

8年後の昭和63年(1988年)5月6日に

兵庫県警に逮捕され、

平成6年(1994年)7月21日に刑期を終えて出所し、

今は大阪で市民生活を謳歌している(当時)。

嘉代子さんは柴田に会うべく大阪を訪れた。

 柴田は市立須磨高校に在学中に事件を起こしたが、

なんと恵子さんも同校の卒業生だった。

因縁めいたものを感じずにはいられない。

彼は恵子さんの“とんでもない”先輩だったのである。

「とにかく大変な騒ぎでした。

この学校は優秀な進学校として有名だったのに、

一転して大変な不名誉で有名になったと、

学校関係者は今でも嘆いています。」と

嘉代子さんは語る。(つづく)

長瀬 猛氏著作『恵子、お母さんは待っていますよ!』より