どうしても言いたい!拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信②

*拉致の証拠が次々出てきた 1988年

先に書いたように、1988年になり多くの日本人が

北朝鮮に拉致されて帰れないでいるということを

証明する証拠、証言などが多数出てきました。

大韓航空機爆破事件の容疑者、金賢姫が

この年2月に記者会見をして、「李恩恵」と呼ばれる

拉致された日本人女性と20ヶ月同居し

日本語や日本の習慣などを教わったと告白しました。

それを受けて、3月参議院予算委員会で、

梶山静六国家公安委員長が、「李恩恵」だけでなく

蓮池さん夫妻、地村さん夫妻、市川修一・増元るみ子さんら

3組のアベックと原ただあきさんについて

「北朝鮮による拉致が濃厚である」という歴史的な答弁を

しました。

そして、9月、石岡亨さんから松木薫さんと恵子の3人で

北朝鮮に暮らしているという手紙が石岡さんの実家に

届きました。そこには、石岡さん、恵子とその二人の

子であると思われる赤ん坊の写真三枚、旅行保険証書などが

同封されており、恵子たちが送ったものであることは

間違いありませんでした。

しかし、私たちが得た証拠に対する霞ヶ関、永田町の

反応は鈍く、冷淡でした。

私と家内はすぐに警察庁、外務省などを訪れ救出を

求めました。そのとき外務省北東アジア課の事務官は

「これが公表されたら、本人に危害が及ぶこともあり得ます。

当分秘密にしておきましょう」と提案しました。

家族としては、外務省がそんな提案をしたのですから、

世間には秘密にしているけれども外務省は内々で解決を図り

必ず何とかしてくれるのだ、と信じてその提案に同意しました。

なお、このとき、自民党、社会党の政治家の事務所にも

相談に行きましたが、唯一、親身になって話を聞いてくださったのが

安倍晋太郎事務所でした。安倍晋三前首相は当時、同秘書として

勤務しており、そのときから一貫して拉致問題の重要性を理解し、

出来る限りの努力をしてくださったことも忘れられません。

1989年1月に当時の竹下登首相が国会で、「前提をつけずに

北朝鮮と話し合う用意がある」と発言しました。当時の私たちは、

北朝鮮に関する国の動きは、常に恵子たちのことを踏まえていると

思いこんでいました。竹下発言を聞いて、私たちは政府は北朝鮮との

国交交渉の場で、恵子たちの救出に取り組んでくれるのだと

喜びました。それで竹下首相に手紙を送ったりもしました

(後日、竹下事務所に確認すると「受け取ってない」と

いわれてしまいましたが)。(つづく)

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