どうしても言いたい!拉致隠蔽に群がった政・官・マスコミへの根本的不信⑥

■ぶちこわしとなった記者会見■

記事が出てから石岡さん、松木さんの家族と連絡を取って91年1月16日、

3家族名で外務省に嘆願書を提出しました。その後、幹事社だったNHKが

アレンジをしてくれて学士会館で記者会見を開く予定でした。ところが、

会見前にNHK記者から「家族に会いたがっている人がいるが、会ってみては

どうか」と紹介され、北朝鮮関連の書籍などを出版している左翼系書店経営者の

E氏に面会しました。E氏は次のように語りました。

「私たちは金丸氏の訪朝のため1年有半いろいろ努力してきました。今ここで、

警察からこんな話が出てきては、なにもかもぶちこわしになってしまいます。

記者会見では住所氏名は言わないようにして下さい。その代わり、私たちには

金正日の主治医に通じるルートがあります。1、2ヶ月待って下されば、

必ず良い返事を持ってきます」

結果的にはだまされたのですが、そのとき私は、金丸外交を進める立場の人が

恵子らを秘密裏に助けるというのだから可能性はあると一抹の希望を胸に抱き、

この提案に同意してしまいました。そのくらい私たちはすがる思いだったのです。

その結果、記者会見で私たちは、匿名を貫き質問にも一切応じませんでした。

集まった記者からはなぜ、匿名にするのか。記者会見に臨んでいながら、なぜ

全く質問に答えないのか、それはおかしいではないかと散々な非難に晒されました。

多くのマスコミが記事にすることはありませんでした。

その後、E氏とは1年半程度、つきあいましたが、結局、何も進展しませんでした。

E氏は最後にパイプになっていた人物が死んだと言い残して連絡が途絶えました。

ただし、E氏は個人で動いていたとは思えません。上記したように、1991年5月、

第3回日朝交渉で田口さんのことだけが取り上げられたとき、外務省に抗議に

行きました。すると、その直後にE氏が私の自宅に電話をかけてきて

「(恵子さんたちを救出する)あの話はまだ生きていますから、静かにしていて下さい」

と要請し、わざわざ神戸までやってきて私たちを説得したからです。

E氏がなぜ、私が外務省に抗議したことを知っていたのでしょうか。拉致を隠蔽する

金丸外交を進めようとしていた外務省内の勢力がE氏と連携して動いていたのではないか、

と強く疑っています。

このようなおかしな動きをしていたE氏を私たちに紹介したNHK記者は、ご自身の

意図がどこにあったのかはともかく結果として拉致隠蔽工作を助けたと言われても

しかたないと私は考えています。

(つづく)

*「正論」平成19年11月号より(加筆・修正のうえ転載)

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