■手記の実名公表とマスコミの黙殺■
先に書いたように1993年に私たちはコペンハーゲンで撮られた恵子の写真を
見せられ確認しました。しかし、警察に口止めされていたので、一部の記者に
非公式に伝えただけで公開しませんでした。その結果、恵子たちの拉致に関する
報道はまったくありませんでした。
1994年3月に週間文春が決定的な報道をしました。3月31日号の
「日本人留学生失踪事件 平壌に連行したのは『よど号』の妻たちだった」という記事です。
そこでは恵子を拉致したのはキム・ユーチュルという北朝鮮工作員であること、
またキムと連携してよど号ハイジャック犯の妻らがヨーロッパ各地を暗躍し、
石岡さん、松木さんを拉致したのも彼女らだという衝撃的な記事で、そこには
コペンハーゲンで撮られたと思われる恵子の顔写真と、石岡さんと一緒に
スペインの動物園で撮影された2人のよど号妻の写真が掲載されていました。
写真という決定的証拠をふまえたスクープでした。
しかし、このような決定的証拠が報じられたのに、テレビや新聞は無視し、
拉致問題は相変わらず取り上げられませんでした。このままでは恵子たちは見殺しに
されてしまうと考えて、私は実名を出して訴える決意をしました。
週間文春1994年5月26日号で「石井自治大臣よ 北朝鮮に連れ去られたわが娘を返せ!」
と題する手記を有本明弘の実名で掲載しました。手記の中で恵子の名前も初めて
公表しました。この内容は、先に書いた金丸訪朝先遣隊としての石井議員とのやりとりを
記したものです。
私は当時の石井議員とのやりとりに関して警察以外には一切話していませんでした。
ところが、週間文春記者がそれを正確に知っていて手記の下書きを書いてきたので
驚きました。誰かがいま(当時)石井議員が治安の責任者である自治大臣・国家公安委員長に
就任したことに対してこの情報をぶつけようとしているのだなと感じ、手記を出すことに
同意したいきさつがあります。この手記にもテレビや新聞などから反応はありませんでした。
(つづく)
*「正論」平成19年11月号より(加筆・修正のうえ転載)




